諦めるという希望【不屈の精神とは違う生き方】

ブログを書くためのリサーチをしているときに、おかしなところに引っかかりました。それがタイトルになっている「諦める」という行為に関することで、世の中で「諦める」ことはとてもネガティブなこととされているわけですが、実はそうではなくポジティブなものなのではないかと思い始めました。

ただ、それを裏付けるエビデンスがまったく見つかりません。ですので今回は完全に的はずれな話をするかもしれません。単純に読み物として面白おかしく読んでもらえればと思います。

目次

諦めることは不快ではなく快感なのではないかという仮説

諦めるときには「悔しい」という感情が湧き、それが怒りになることもあります。その悔しさをバネに成長することもありますし、意欲が下がって精神的にダメージを追うこともあります。これが一般的な考え方であり、いわゆる常識ですよね。

でも本当にそうなのか?と疑問を持ったのが始まります。

もしかしたら「諦める」という行為はわたしたちにポジティブな感情を与えているのではという仮説がわたしの中に立ち上がりました。「いやいや夢を諦めるのはつらいし。好きな人が他の人と結婚して諦めなくてはいけないのは絶望的じゃないか」と思うかもしれません。

では人間は諦めた瞬間にどのような生理現象が起きるか。脳や自律神経がどのような状態になるのか。これも調べても論文などは見つかりません。調べ方が足りないのかとは思いますが、そもそも「諦めた瞬間」を測定するのは無理なのかもしれません。

わたしが諦めることでポジティブになると推定したのは、もちろん理由があります。諦めるということは、背負っているプレッシャーから解放されることでもあります。最後までやりきらなくてはいけないプレッシャー、応援に応えなくてはいけないプレッシャー。

わたしは過去に何度も「諦める」を経験しましたが、いずれも悔しいというよりもホッとしたのを覚えています。張り詰めていたものが解けて、心が穏やかになりました。もうがんばらなくてもいい。もう苦しまなくてもいい。そういう感情が湧いてきたのを覚えています。

会社を辞めると決めたときも、解放された気分になったのを覚えています。2回ほど自ら退職願を出していますが、いずれも先のことは決まっていなかったのに、不安を感じるどころかすっきりとしたのを覚えています。

希望があるなら諦めることは悪くない

諦めることが絶望につながることも理解はしています。今回のような状況で大学に通い続けるのを諦めた人もいるでしょう。東日本大震災では住み続けた土地に留まることを諦めた人もいます。そういう理不尽な力によって諦めさせられたときにはネガティブな感情を生むのだと思います。

ただわたしにとって何かを諦めるというのは、いつだって何かを始めるときだったりします。例えば自分の作ったサイトを諦めるときは、その運営労力を別の作業に振り分けるだけのことで、諦めても自分の中に空洞ができるわけではありません。

むしろ、代わりに始めることにたいする希望のほうが強く、「なぜもっと早く諦めなかったのだろう」と思うこともしばしばあります。ウーバーイーツの仕事を始めたときもライティングの仕事を諦めての実質の転職でしたが、気分はポジティブでした(結果的にはライティングが続いていますが)。

わたしのケースでは基本的に諦めたことが希望に繋がっています。これが分かれ目なんだろうなと思います。諦めそのものに善悪があるのではなく、その先に希望があるのかどうかで諦めはポジティブにもネガティブにもなります。

多くの人が諦めることが悪いことであり、努力を継続することを推奨し、「諦めなければ夢は叶う」なんてことを口にします。でもそれは嘘です。諦めないだけでメジャーリーガーになれる人なんていません。夢を叶えるには才能と運も必要です(夢の種類にもよりますが)。

諦めることと努力しないことは違う

ちなみにわたしがここで言っている「諦める」というのは、ある程度のところで見極めるということです。自分の器のサイズを冷静に見極めて、これ以上のリソースを注ぐのが正しいことなのかどうかを判断し、費用対効果がないなら手放すことを諦めるとしています。

マラソンにおいてで言えば、レース中に雨が降り出して、体がどんどん冷えていく。これ以上走り続けるのはリスクが高く、無理をしたときの代償も大きすぎると判断したときに走ることをやめるのを「諦める」としています。

「どうせ完走できないから練習はしない」「頑張っても良い点を取れるわけではないから勉強しない」というのはわたしのなかでは諦めるには入りません。基本的にベストを尽くさない姿勢は嫌いです。自分で試行錯誤して悩みながら答えを見つけようとしない行為も嫌いです。

最初から誰かを頼るというのは「諦める」とは違ってただの放棄です。

もしかしたら放棄を「諦める」としてケースでも、ネガティブな感情が生まれるのかもしれません。その過程でベストを尽くしていないから悔いが残る。まだできたのに希望を取り上げられたから、気力がなくなる。でもきっと、そのまだできたが幻想。

全力を出してやるところまでやって諦めたなら、それはもうひとつのゴールになるはずです。そして次の1歩を踏み出すためのスタート地点でもあります。だから、本当の意味で諦めるというのはポジティブであり希望に満ちているはずです。

まとめ

まとめるほどの内容ではありませんが、何を言いたかったのかだけ最後に話しておきます。

人生において諦めるというのは必ずしも悪いことではなく、ひとつの選択肢に過ぎません。諦めることで絶望的な気分になる人もいるかもしれませんが、そこで人生が終わるわけではありません。むしろほとんどのケースで新しい何かが始まります。

そして何よりも大きなプレッシャーから解放されます。これまで苦しめられていた「結果を出さなきゃいけない」というプレッシャーがなくなり、リラックスした状態を手に入れることができ、ストレスも消えていきます。

諦めることを受け入れるだけで、見えてくる景色も変わってきます。ベストは尽くすほうがいいとは思いますが、出し切ったならそこをゴールとする。次の挑戦を始めるそういうスタンスもありなんじゃないかなと。

絶対に諦めない不屈の精神というのも好きですけどね。わたしはそのタイプではないということで。

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