目の前にある道を進むのが正しいとは限らない

今日はちょっといつもと違う感じで。

ウーバーイーツの配達をしていると、いろいろな人に出会います。出会わずに置き配することが多いのですが、少なくとも店員さんには会います。1日に20人以上の人に出会い、その人たちにもそれぞれ人生があって、何の縁かデリバリーを通じてほんの少しだけお互いの人生に影響を与える。

1人で自宅作業をしているときには絶対になかったこと。そして、新型コロナウイルスが広がったことで、余計に感じる人と人とのつながり。

災い転じて福となすとするか、五里霧中とするかは自分次第であるというのも強く感じます。昨日は午前中の早い時間から青空が広がり、その瞬間に自分がどんよりとしたトンネルの中にいたのだということに気づきました。

トンネルの中にいることに気づいてもおらず、知らないうちにネガティブになっていたのでしょう。青空を見た瞬間にいつの間にか背負っていた、重荷のようなものが消え去ったのを感じました。何かが急に変わったわけではありませんが。

きっとわたし以外にも、そうやってトンネルの中で彷徨っている人もいたのでしょう。まだ彷徨っている最中かもしれませんが、抜け出したわたしが言えるのは、悪いことばかりは続かないということくらい。もち気の持ちようですが。

これだけ多くの人に会っていると、人に会うのが怖いと感じる人が一定数いることがわかります。人に会うのが怖いけど仕事だからお店に出ている。人に会うのが怖いけど、食べなくてはいけないからウーバーイーツで注文をしている。

恐怖心というのは自分を守るために必要なものだけど、例えば新型コロナウイルスに対する恐怖心の大きさや種類は人によって違います。「大丈夫」なんて言葉は気休めにもならない人がいて、わたしのように毎日のようにデリバリーをしている脳天気な人もいる。

そういう人たちがわかり合うのは簡単ではありません。わかり合う必要があるのかどうかもわかりません。でも、相手の気持ちがわからないということを理解しておくことは大事なこと。これは新型コロナウイルスに限った話ではありません。

人は理解し合えるのか?

わたしはそれを夢だと思っています。100%理解し合うことはできず、でも理解し合うことを諦めてもいけない夢。誰かを理解できるなんていうのは傲慢で、誰かに理解されたいというのも傲慢。でもいいじゃないか傲慢でもとも思うわけです。完璧な人間でもないわけですから。

ただ、わたしは理解はしたいけど、理解はされたくないというの面倒くさいタイプの人間です。誰かを助けたいと思うけど、誰かに助けてもらいたいとは思えない。なんでこんな面倒くさい人間になったのかはわかりませんが、自分のことは自分で行うのが基本。

そのうえで困ったときに誰かを頼れるのが強い人。わたしにはそこが決定的に欠けています。

誰かを頼るのが苦手ですが、時代の流れとは面白いもので、こういうタイプの人間でも生きていくことはできる時代になっています。バブルの時代だったら、わたしのような協調性が欠けているタイプは居場所を見つけることもできず、東南アジアに自分探しの旅に出て戻ってこなくなる。

でも今はクラウドソーシングやウーバーイーツの配達のように、きちんと仕事があるわけです。多様性が求められる時代で、働き方も行き方も自由に選べるようになり、自分らしさを失うことなく生きていける。これはとても素敵なことだと思います。

いま現在進行形で苦しみを抱えている人もいるのでしょう。暗闇のトンネルの中を迷いながらも前に進んでいる人もいるのだと思います。悪いことばかり続くわけないので、そこで耐えるのも選択肢のひとつですが、もっと選択肢を広げてもいいんじゃないかなと。

もっと苦しまずに悩みを抱えずに生きられる道がきっとある。目の前にある道だけがすべてではない。耐えることは素敵なことですが、無理をすることはおすすめしません。

配達するお弁当のピックアップをしながら「無理しないでね」と声をかけたくなることが増えてきました。余計なお世話だなと思うので口にしませんが、もしかしたら、このブログを読んでくれている人の中に無理している人がいるかもと思い文章にしました。

相談に乗れるほどの器でもなく、いい提案できるほどの経験もないので、実際に何もできないわけですが、一緒に軽く一杯飲むくらいならできます。鬱々としているようなら連絡ください(業務連絡のような締めだな……)。

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