知識と経験

地上には個性的なデザインのビルが立ち並び、地下鉄ではほとんどの乗客がスマホを眺めている。通勤時間には街の中心部に向かう道路が渋滞し、バスに乗るといつになったら到着するのか分からず「歩けばよかった」と後悔する。北京はそんな街だ。

初めて訪れた20年前は活気があり、オリンピックに向けて勢いがあったが、それはすでに過去のこと。少なくとも北京は国際都市であり、道にはゴミひとつ落ちていない。民度が高いわけではなく、教育と監視カメラの賜物だ。おそらく北京は世界有数の安全な街だろう。

共産主義の国では犯罪を犯すリスクが高すぎる。同じ共産主義のキューバも犯罪が少ないイメージがある。いや、未成年の飲酒はあるし売春だってある。キューバの売春が違法かどうかは知らないが、生きていくための違法行為はあっても、強盗などが起きにくい。

北京のように徹底した監視社会ではなおさらだ。ただ安全は担保されている。夜中にふらっと歩いていて危険を感じることはない。日本人だからといって危害を加えられたこともない。むしろ日本人だから助けられたことは何度もある。

物価は決して安くない。むしろレートによっては高く感じることもある。ナイキやアディダスといった海外スポーツブランドのアイテムは、おそらく日本で購入したほうが安いだろう。数年前まで格安だった中国ブランドさえ、すでに格安感はない。価格ではなくデザイン性と機能性で選ぶ時代になっている。

これが昨年10月時点での話で、おそらくそこからさらに変化している。驚くべきスピードで新しい局面へと移り変わっていくのも北京の特長だ。半年前の常識がすでに非常識になっている。電子マネーが登場してすぐは、無理にでも電子マネー払いをさせようとしてきたが、最近はそうでもなく現金でも対応してくれる。

20年前の北京、いや10年前の北京と今の北京で最も違うのは、そこで暮らす人たちの笑顔だろう。10年前に北京には笑顔がなかった。まったく笑わないわけではないが、本当に楽しいときだけしか笑顔を見せない。入管での仏頂面は日本人からした怖さすら感じたはずだ。

そんな国がいつの間にか笑顔を手にしている。入管でもお店でも、こちらが笑顔を見せれば相手も笑顔で応じてくれる。かつて「面白いわけでもないのになぜ笑う必要があるのだ」と言っていた人たちが、10年で日常に笑顔を取り入れた。

かつては国としての勢いに魅力を感じたが、いまは変化を楽しんでいる。おそらく新型コロナウイルスの感染拡大を経て、また違った変化を見せているのだろう。もしかしたら、すでにiPhoneなど存在しない可能性すらある。気になるのは彼らの笑顔は保たれているのかどうかということ。

中国に興味がない日本人は多く、そのような人たちは中国人を日本人よりも劣っていると思い込んでいる。人間に優劣なんてないはずなのに、自分たちは先進国の人間で、中国人は発展途上国であり民度が低いのだという勘違い。北京に行けば中国が発展途上国ではないことはすぐに理解できる。

もちろん農村部に行けばまだまだ先進国とは言えない状況ではあるが、高層ビルが立ち並ぶ都市がいくつもある。インターネットの情報でそれらを知っている人も増えてきたが、インターネットでは中国人について理解するのは無理だろう。行けばわかるのだが、好き好んで北京に足を運ぶのは少数派だ。

どうせ行くなら上海や香港というのが大多数だろう。わたしも観光をするならそちらのほうがおすすめだ。北京は歴史好きでもないかぎり退屈な街だから。歴史が好きなら飽きることなく観るところがあるのだが、そうでないなら北京を勧める理由は万里の長城マラソンがあることくらいだ。

だが、中国人を理解するのに北京ほど適した場所はない。

北京の朝、観光地でもない公園を散策し、地元の人たちが並ぶお店でお粥と肉まんをいただく。街をぶらぶら歩き、疲れたら中国茶を飲みながら愛読書を読む。伝わらない言葉を駆使してコミュニケーションをとり、笑顔を引き出す。

「どこから来たんだ」という言葉に、知っているくせにと思いながら「日本からだ」と返す。たまに大阪に行ったという人に出会うが、東京に行ったという人が意外と少なかったりする。そういうことは現地で言葉を交わさないとわからない。

わかったからどうだというのか。そんなことは自分で考えて欲しい。人生では無意味なことが集まることで、意味のあるものになることだってある。大事なのは受け入れる器の大きさと、何でも知りたがる好奇心。自分で体験したいと思う気持ち。

わたしはそういう気持ちを持った人が好きだ。ディスプレイに表示された情報だけで知識人にでもなったつもりで、何もかもを見通しているような人は信用しない。その行為を止めようとは思わないが。薄っぺらい生き方に酔っている人にかまっている暇などないのだから。

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