今日から6年目に突入!ハダシストの5年を振り返る

安定を信じることができない子どもだった。親の転勤が多く、同じ環境で長く生活することがなかったのが影響しているのだろうと自己分析をしている。もしかしたら、持って生まれた性格かもしれないが、安定した状態が続くと精神的に不安になり、それを壊したくなる。

会社を辞めて独立したのは、業績が悪化して、会社が顧客や社員をきちんと見る余裕がなくなったのが理由としているが、実際にはそれは引き金に過ぎず、その前からずっと、誰かが引き金を引いてくれるのを待っていたのだろう。大手企業の子会社で、いい社員を演じていれば定年まで安泰だった。

それが頭に浮かんだとき、もう辞めることは決まっていた。あとはタイミングだけという状態で職場の移転があり、それに合わせて独立をした。それが5年前の9月16日。個人事業主(屋号:ハダシスト)は本日から6年目となる。

個人事業主や新しく開業した会社の5年での生存率は、たった42%しかない。2人に1人が廃業している計算になる。だからきちんと事業計画書を書いて起業するようにと言われているのだが、わたしはそんなものを書いたこともないし、書こうとしたこともない。

会社を辞めて何をするのかは決まっていない状況で退職している。いや、したいことは決まっていた。万里の長城マラソンの運営をしっかりとさせたい。それだけが決まっていて、万里の長城マラソンの認知度アップのためにランニングの情報発信を開始した。それがRUNNING STREET 365になる。

万里の長城マラソンの宣伝をしたいけど、広告費を払う余裕はない。だから自分でランナーが集まるサイトを作り、そこに広告を貼ればいいという浅知恵。新型コロナウイルスの影響で万里の長城マラソン再開の目処が立っていないが、その狙いは当たり、100人を超える日本人が参加してくれるようになった。

だがランニングの情報発信では食べてはいけない。早い段階でLancersに登録しライティングを始めたのが正解だった。10月の段階で月収20万円程度は確保できるようになった。ただ、危ない橋を渡っている状態ではある。クライアントを失えば収入が止まる。

ただ幸運なことに、その後もかなり安定して仕事をもらえていた。昨年の夏前くらいまでは固定のクライアントでスケジュールが埋まっていた。ところが、GoogleがSEOの方針を大きく変えたところで、流れが変わってしまう。

それまで長文を大量にアップすることで、検索上位に入っていたのだが、昨年あたりから、ドメインの価値が問われるようになり、新規で立ち上げたドメインでは簡単には検索で上位表示されなくなってしまった。今でもそれは変わらず、検索をすれば大手企業の記事が出やすくなっている。

どのクライアントも方針を変えるしかなくなり、次々と打ち切りが決まってしまったのが昨年の夏。2019年8月の売上は8万円しかない。11月は5.2万円で、12月は8.6万円。これはさすがに焦ったのだが、7月までの売上が十分にあったので、なんとかしのぎきることができた。

だが、間違いなく2019年は廃業の危機にあった。

だが、人生というのは思わぬことが起きるもの。年末のランイベントで山手線1周ランをしている最中にUberEatsの配達員を何度か目撃をしたことで、運命の歯車が動き出す。そこからの流れはすでに知っているかと思うが、UberEatsとライティングを両輪にして、このコロナ禍でも途切れることなく仕事をしている。

ライティングも文字単価が大幅に上がっている。昨年までは1文字1円という仕事でも飛びついていたが、いまは平均で1.5円くらいある。だからといって収益が上がっているわけではなく、稼ぐライティングを減らして、情報発信を増やしている。情報発信はわたしのライフワークなのだ。

5年間を振り返ってみると、90%は運だったと思う。まず時代の流れに救われているのが大きい。独立したばかりは、クラウドソーシングが広がり始めた時期で、ライティングの仕事が減った時にはUberEatsはすでに稼げる仕事になっていた。

こういうタイミングというのは、1年違うだけで状況がまったく変わってしまう。いずれもベストなタイミングで始められたと思っている。これは運以外の何物でもない。残りの10%は手を差し伸べてくれた人たちのおかげ。

この5年間で、どれだけの人にお世話になったかわからない。仕事をくれる人もいれば、お酒をごちそうしてくれる人もいた。おそらく現世ではこの恩を返しきることはできそうにない。驚くほど貧しくなったのに、以前と変わらず普通に接してくれる人たちもいる。

生存率42%の世界に、無計画で飛び込んで6年目を迎えられたのだから、実力なんてものはない。文章を書く才能はあったのかもしれないが、才能だけでなんとかなるような世界ではない。圧倒的な運と、支えてくれる人がいて初めて生き残ることができる。

この幸運がいつまでも続くわけではないというのは肝に銘じておく必要がある。その一方で、このやり方を続けていけば、思わぬことから人生が大きく動くことがあるのだということも知っている。大事なのは波が来たときにすぐに乗れるように準備しておくこと。

きっと次の5年も想像できないような未来が待っている。次の5年を生き延びれば、生存率26%側に入ることになる。かなり狭き門だが、きっと大丈夫だろう。根拠はないが、わたしならやれると信じている。

10周年をどこで迎えているかわからないが、まずは健康であること。そしてできることなら、これまでお世話になった人たちにお礼できる場を設けるとしよう。陣屋を貸し切って……は芥川賞でももらわないと無理だが、それくらいのつもりで今日からまた再スタートだ。

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