その声は届いているか【応援が苦手なわたしの考えること】

その声は届いているか【応援が苦手なわたしの考えること】

小学校から大学まで、ずっと団体スポーツをしてきた。小学校3年生までスイミングスクールに通っていたが、基本的には仲間と一緒に行うスポーツを選んできた。個人競技にはまったく興味がないまま、わたしは大人になった。

だが、運動音痴という大きな問題を抱えていたので、どの競技でもレギュラーになることはなかった。サッカーだけは最後にかろうじて、先発入りするくらいにはなっていたが、それにふさわしい技術があったかというとそうでもない。それはいいとして、基本的にはベンチ外なのだ。

そうなると応援に回ることになる。ベンチ入りできなかった他のメンバーとひたすら大声でチームを鼓舞する。これが嫌いだった。声援が力になることは知っている。だが、少なくとも高校時代の部活で、声援がグランドに立つメンバーに届いたと感じたことはない。

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そもそも頑張らなくてはいけないのは、ベンチ入りすらしていない自分であり、グランドで声を出すくらいなら練習をしていたかった。下手なのはわかっていて、メンバーに選ばれないのも当然で、なのにグランドの外から声を出すのは屈辱でしかないし、時間の無駄としか感じない。

大学時代から同級生とサッカーの日本代表の試合に行くことが増えた。ゴール裏で喉が枯れるまで叫ぶ。これはそこそこ楽しかった。声が明らかに選手を支えている。サッカーにおいて、ホームは有利でアウェイは不利。これは長い歴史の中でも変わらない。どれだけ戦術が進化しても、声援がそれを上回る。

だが、熱狂はしなかった。

そこは自分が目指した場所なわけで、なぜ自分よりもサッカーが上手く、そして自分よりも稼いでいる成功者を応援しているのだろうと、ふと我に帰ることがあり、自然とスタジアムにも足を運ばなくなった。成功者を応援するモチベーションはどこにあるのだろう。これはきっと、わたしにとって永遠の疑問かもしれない。

アイドルが応援される理由はわかる。アイドルは未熟であり、成長の過程を見せるのが仕事だ。少なくとも秋元康さんはそうやって、アイドルグループの時代を築き上げた。未熟だから自分と力で支えてあげたくなる。自分の力でいい場所に立たせてあげる。自分1人では無理でも、ファンがひとつになれば大きなことができる。

ただ、その考え方は理解できても、残念ながら一緒になって応援しようとは思わない。いや、そもそも応援はしていない。好きなアイドルグループや俳優さん、映画監督などはいるが「応援」となると話が変わってくる。わたしが楽しませてもらうことはあっても応援することはない。

アイドルやアスリートを応援することを否定しているわけではない。人生を楽しむという意味では、きっとその方が楽しいことがたくさんあり、悔しいことや悲しいことも含めて、充実した時間を過ごせるのだろう。ただ、わたしにはそれが向いていないというだけのこと。それ以上でも、それ以下でもない。

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そんなわたしでも、マラソンでは応援することがある。裸足で走るときは最後方から走り出すので、残り数キロの地点では失速した人たちを追い越すことになる。このとき、できるだけ声をかけるようにしている(頼まれもしないのに)。マラソンにおいて最後の1キロはとても大切で、歩いてしまうのか、それとも苦しみながらでも走ってゴールすることでは気分がまったく違う。

だから「がんばっていきましょう」と声をかけて追い抜いていく。必死になって、後ろを付いてきてくれる人もいる。大きなお世話になることは承知で応援する。沿道でも同じように応援する。気持ちが折れそうなところで、「ここが踏ん張りどころ」「次のエイドまで走りきろう」と声援を送る。

自分のことをずるいなと思う。結局のことろ、自分の方が優位な立場にないと応援しない。器が小さいのだろう。自分より優れている人を純粋に応援できない。そして世の中は、自分より優れている人ばかりなのだ。誰かの応援などしている場合ではない。これがわたしの頭の中。

ちなみにわたしは応援されるのも苦手だったりする。もちろん応援は力になる。マラソン途中のハイタッチは元気になりすぎて、オーバーペースになるくらいテンションが上がる。だが、基本的には集中して黙々と走るのが好きなタイプ。

自分なんかを応援してくれて、申し訳ないなんて思うこともある。

応援されるのに見合った準備をしてきただろうか。応援されるのに見合った走りをしているだろうか。いつも不安になる。それに見合うだけの準備をすればいいのかもしれないが、きっとどれだけ準備をしてもきっと不安がなくなることはないのだろう。

もっと素直になれるといいのだが、44年もかけて構築された思考がこれから変わるなんてことは考えにくい。なら受け入れるしかないのだろう。ずるい自分と自信を持てない自分のことを。

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