持続化給付金を受給しない愚かさと不正受給するずる賢さ

持続化給付金を受給しない愚かさと不正受給するずる賢さ

新型コロナ対策として個人事業主に支給される持続化給付金。それを不正受給したから返還するという人が殺到しているのだとか。個人的にはみっともないなと思う。持続化給付金を不正受給するのにも理由はあったのだろうから批判はしないが、摘発が始まったらこわくなって返還するのはみっともない。

印籠を出されて平伏する悪代官くらい、わたしの美学にはそわない。悪になるなら悪を貫くほうが美しい(別に悪事を推奨しているわけではない)。

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新型コロナウイルスは、現在進行形でフリーランスの収入に大きな影響を与えている。ほぼ収入が止まっている人もいるし、急ハンドルを切って収入を増やした人もいる。わたしは別の理由でハンドルを切った結果、収入が増え生活には困っていないので持続化給付金を受給していない。

フリーランスの中には収入を操作して、持続化給付金をもらう人もいたようだが、これが不正かどうかの判断は難しい。わたしの基準では仁義にもとる行為だとは思うが、仁義など今どき流行らないし、仁義の基準は人によって違う。

むしろ、わたしの選択はビジネスにおいては「愚」だ。こういうときに上手くやりくりして100万円を受給する人は成功者になる。良い悪いではなく、それがビジネスというものだから。どんな商品でもサービスでも、売り込むためには多少なりともズルいことも必要になる。

わたしがサッカー少年だった頃、「日本人にはマリーシアが足りない」と言われていた。日本人選手は技術は高いが、相手を騙すようなずる賢さがないから、世界で通用しないとされていていた。日本人はなぜかスポーツの場ではマリーシアがなく、ビジネスの場ではマリーシアを発揮する。

ずる賢くお金を稼ぐ。こう書くとイメージが悪くなってしまうのだが、現実としてビジネスの場ではこれをあまり悪いことだと考える人はいない。どんなやり方をしようが稼いだ人が正義なのだ。もちろん法律に反する不正はNGだが、バカ真面目に法律を守っていては稼げない。

宣伝のためのキャッチコピーもそうだし、有名人が使っているかのように見せかける手法なども壮大な嘘のひとつだ。最近はステルスマーケティングに対する監視の目が厳しくなってきたが、インフルエンサーと呼ばれる人がInstagramで「これ良かったよ」と言うだけでそのアイテムは飛ぶように売れる。

それはずる賢さの延長にあるものだが、ビジネスの場ではマーケティングと呼ぶ。まともなマーケティングもあるが、世の中で売れているものの多くが嘘をつくことで人の心に働きかけているのも事実。それをよくないことだとは思わない。ただ、わたしはそれが好きでない。

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そもそも、この国においてお金とは何なのかという教育がされていないことが、持続化給付金の不正受給問題の根底にあるとわたしは考えている。「お金とは何か」を学ぶことも議論もせずに、お金を手にすることが大事で、たくさん持っているほうが幸せだとわたしたちは思い込んでいる。

以前も少し書いたかもしれないが、わたしにとってお金とは「労働の対価」であり「労働に見合った価値のあるものを手にするためのもの」だと考えている。これはお金というものの一面でしかないのだが、面倒なので他の面は見ないことにしている(例えば投資の世界におけるお金は「労働の対価」ではない)。

わたしが自転車を漕いで熱々の牛丼を届ける対価は400〜800円だ。値段に幅があるのは、届ける距離が違うから。同じ「届ける」でも500m先に届けるのか、4km先に届けるのかで労働の負荷が違う。ただ、これはUberEatsという仕組みを使うと、届ける人によって労働の対価は変わらない。

ところが、これをアイドルがファンに届けるとなると、対価が変わってくる。牛丼が届くという点ではわたしが届けても同じなのだが、応援しているアイドルが届けてくれるとなると、配達の価値がまったく変わってくる。もしかしたら1配達10万円でも依頼する人もいるだろう。

だが一方で、そのアイドルのことをまったく知らない人からすれば、わたしが届けてもアイドルが届けても価値は変わらない。このように労働の対価といっても常に一定なわけではなく、その価値は流動的だ。ただ、自分が提供した労働力(もしくは価値)に対価としてお金をもらっている。

もし相手が自分の欲しい物を持っているなら、お金ではなく物でもらってもいいのだが、世の中そんなに都合良くはできていない(わたしののように、実質的にランニングシューズで対価が支払われているケースもあるが)。だから媒体となるお金を払ってもらっている。

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では持続化給付金はどうだろう。当然これは労働の対価ではない。フリーランスの収入がなくなり廃業することで、経済が回らなくなるのを防ぐための施策だ。そもそも最近は国がフリーランスを推奨していたのもあり、その流れを壊さないためにも、国はサポートもしているのだとアピールする意味もある。

だが、フリーランスの多くはこれをボーナスのように考え、もらえるならと申請をした。くれるというのだから当然だろう。みんなお金はあればあるほどいいと思っているのだから。養うべき家族がいるのであれば、1万円だってくれるのなら欲しいだろう(そもそも不正受給でもない)。

フリーランスでもないのに申請してお金をもらった、ずる賢い不正受給者も「もらえる仕組みだからもらっただけ」という感覚だろう。これくらい図太くないとお金儲けはできない。だが、お金とは何なのかという感覚が抜け落ちていると、いずれすべてを失うことになる。

労働の対価ではないお金は身につかない(わたしのように労働の対価でも身に付いていないケースもあるが)。いわゆるあぶく銭もしくは悪銭というやつだ。給付金なのだからあぶく銭ではないと主張する人がいると思うが、わたしの感覚ではまっとうなお金ではない。

まさに「悪銭身につかず」なのだが、昔の人が残した言葉はたいてい正しい。

お金に困ったなら、自分なりに工夫して働いて稼ぐ。このスタイルでないとフリーランスは続かないというのがわたしの信念でもある。仮に100万円をもらっても本質的な解決にはならず、問題を先送りしているだけにすぎない。もちろん、この100万円を使って新規事業を展開し息を吹き返した人もいる。だから無意味とは言わない。

だが、個人的には「そうじゃない」とは思っている。人生の苦難は自分で切り開いたほうが面白いし力になる。そう言えるのはわたしが恵まれているからかもしれないが、生きている限りずっと「愚かだ」と言われても苦労は買ってでもしようとは思っている。

なぜなら、その苦労を乗り越える過程こそが人生なのだから。

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