モノを減らして所作を美しく

新しいMacBook Airを設置するのに、部屋のレイアウトを少し変更した。いずれはiMacを手放す予定(古いMacBook Airは e-Tax用のWindows機にする)だが、まだデータの移行が終わっていないので手放せない。売ったところで二束三文だろうから、焦ってはいない。

ただ、部屋のレイアウト変更をしたことで、たくさんの書類が溢れてしまった。持っていても仕方のない書類や参考文献などもあるので、これらは思い切って捨てることにしたのだが、一向に片付かないので、今のところ足の踏み場もない。このタイミングで色々捨てようかと思っている。

ホットカーペットや使っていない毛布、ママチャリなど。できればアウトドア用冷蔵庫も捨てたいのだが、どこで回収してもらえるのかわからない。オイルヒーターも押し入れの肥やし状態。いずれも取りに来れる人がいれば譲りたいが、こういうときなのでまぁ無理だろう。ただ、少し前から手放すモードになっているので、これを機に色々捨てていくつもりだ。

これでも、以前と比べるとかなりすっきりした方だ。あと少しで軽トラック1台で引っ越しできる。引っ越しする予定はないが、引っ越ししないとも限らない。ひとつの場所に留まるのは得意ではないし、引っ越しするような変化もあるかもしれない。良い意味でも悪い意味でも。

わたしたちはモノを持ちすぎている。たくさんのモノがあると便利だし安心できるが、ありすぎるとそれが面倒を連れてくる。なによりも、もし自分に何かあったときに片付ける人が大変だ。独りで暮らすというのは、常にそのことを考えておかなくてはいけない。UberEatsの配達員のような仕事をしているとつくづくそう思う。

荷物の多さは業の多さだと、お遍路しているときに教えてくれる人がいた。業も煩悩も無数にある人間なので、その言葉が刺さったりはしないのだが、こうやって散らかった部屋を見ていると納得せざるを得ない。わたしはきっと今世では煩悩をすべて消すことはないのだろう。きっと前世がサボりすぎて108の煩悩すべて残ったところから始まったのだろう。

そんなことを言っている側から、ランニングシューズが2足増えた。靴屋でも開くつもりなのだろうか。どちらもレビュー用なので仕方ないのだが、数ヶ月前に思い切って数足処分して、ようやくシューズラックに収まるようになったばかりなのに。もし、人生のパートナーを探すなら、お酒と美味しいものが好きで、足は25.5cmの人がいい。

そんな予定もないので、また整理をするしかないのだが。

昔から「モノのない部屋」に憧れてきた。でもフリーランスでそれは無理だと悟った。どうしたって仕事道具は必要だし、残さなくてはいけない書類もある。そして何よりも、便利そうなものや、個性的な服はつい買ってしまう。そんなにも手にしても、体はひとつだし1年は365日しかないのに。いずれ手放すとわかっているのに。

こうして何か変化があるときが、モノを減らすのに最適なタイミングだ。かつて2Kのアパートから1Kのアパートに引っ越しをしたとき、かなりの量の本を捨てた。本棚もどれだけ捨てたかわからない。今は電子書籍で満足している。本当に必要なものなど限られているのだ。結局のところ立って半畳、寝て一畳なのだ。

ただ、厄介なものもある。思い出の品というやつだ。どこまで持っておけばいいのか。マラソン大会でもらったトロフィーなど、持っていたからどうだというのだろう。あの人にもらったあれもこれも、過去に自分を縛り付けるだけの存在だ。だからといって、簡単にゴミ袋に入れることはできない。思い出というのは本当に厄介だ。

もっとすっきりと生きたいものだ。すぐにすべてを捨てられるわけではないが、毎日少しずつでも捨てていく。わたしに残された時間がどれくらいあるのかはわからない。焦ってはいないが、のんびりもしていられないだろう。45歳というのはそういう年齢だ。人生の折り返し地点は、とっくに過ぎている。いつまでも、欲だけに流されていてはいけない。

長崎の夕飯に入ったお店で、配膳係の女の子を見て「丁寧さに欠けると、見た目が美しい人でも残念なことになる」と感じることがあり、自分も所作には気をつけなくてはならないと肝に銘じたところ。美しい所作を手にするためにも、モノを減らしてひとつひとつ丁寧に暮らす。「モノを減らして所作を美しく」これを来年の目標かな。

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