Anything but death is just a scratch【目の前の景色に色をつけるのは自分】

昨日のUberEatsの配達は珍しく順調で、17時前にノルマを達成したので新宿まで自転車を買いに行くつもりだったが、胃カメラの検査が今日だった(昨日の時点では「明日」だが)ことを思い出し先送りした。胃潰瘍の回復具合を見るためだけの胃カメラだが、万が一ということもある。

何らかのトラブルが発覚し、自転車を買ったのに乗れないような状態だったら無駄になる。いや、もちろんそんなことはないのだろうが、見えない部分だけに、何がどうなっているかはわからない。自転車の購入を少しくらいずらしても何の問題もないのだから、万全を期しておきたかっただけのことだ。

最初に検査したときは「可能性が低いけど、ガンであるかもしれない」と言われたのもあり、ややナーバスになっていたが、今回はまだ検査前というのもあって比較的落ち着いている。この数年で何かを悟ったわけではないが、生きていればどうしようもないことだってあると、何度も体験してきた。無駄に歳を重ねたわけではない。

胃カメラの検査がかなり混んでいると言われた。1ヶ月以上前に予約したのだが、そのときは年を越すかもなんてことも言われた。新型コロナウイルスの影響もあるのだろうか。大きいところでは受けられず、街の病院で受け入れているのかもしれない。そうでなければ、世の中の多くの人が新しい生活様式にストレスを感じて胃潰瘍になったか。

多くの人がかなりストレスを溜めているのだろう。生活は窮屈だし、色々と気を遣わなくてはいけない。人と話をするときには、失言のないように細心の注意を払わなくてはいけない。そこまで気を遣っていても、他の人は気を使うどころか、新型コロナウイルスなど無かったかのように遊びまわっていたりする(わたしもその中の1人だろう)。

思い通りにいかない。集団の中で生きていれば当たり前のことなのだが、こういう状況だから余計にそれを強く感じる。だからといって自暴自棄になるわけにもいかない。そういう葛藤がストレスを生み、自分自身を苦しめていく。こういうとき、真面目な人ほど苦しみやすい(あぁ苦しい)。こういうときは「ケセラセラ」が正解だ。

それができれば苦労しないのは知っている。だが、得体の知れないモノに対して神経質になったところで暖簾に腕押し、糠に釘。もちろん手洗いやマスクなどは必要だろう。少なくともインフルエンザに罹るリスクが下がることは明らかで、多少は新型コロナウイルス対策にもなるかもしれない。そういうことはもちろんすべきだが、それ以上は必要ないのではないかと考えている。

何度も言っていることだが、わたしはマスクが嫌いだ。だが嫌いなままでいることはストレスになる。自宅にいればマスクは必要ないが、配達員をしているのだからそうもいかない。だったらどうすればいいのか。たどり着いた答えは「気に入ったマスクを見つける」ということだ。今はsousouのマスクで落ち着き、次はどのデザインのを買おうかと迷っている。

思い通りにならないこと、嫌なことから逃げることもときには大事なことだと。わたしの人生は逃げ続けた45年だった。きっとそれはこれからも変わらないだろう。だが逃げなくても済む方法があるなら、それを選ぶのもいいだろう。マスクから逃げるのではなく、着用したくなるマスクを選ぶ。マイバッグを敵視するのではなく、買い物が楽しくなるエコバッグを買う。

人生を少しでも楽しめるように考え、工夫すること。上手くいかないことを誰かのせいにしたって、何も解決しやしない。人生が楽しくないのは、人生が苦しいことばかりなのは、すべて自分が呼び込んだ結果だ。誰か他の人のせいではない。困難も考え方次第で、自分の行動次第で楽しくすることだってできるのだ。

本当は世の中が悪いのかもしれない。でも、目の前の景色にどう色をつけるのかは自分次第なのだ。同じ環境にあっても黒に染める人もいれば、鮮やかな色で飾る人もいる。いま自分の置かれている環境は誰かによってもたらされたものかもしれないが、それを明るくするのも暗くするのも自分次第。そのことを忘れてはいけない。

生きていればいろんなことがある。それが生きている証拠でもある。上手くいかないことも楽しもうじゃないか。「Anything but death is just a scratch」。傷だらけになるかもしれないが、傷は男の勲章だろ?安全なところで過保護に生かされるよりも、ジャングルで傷ついて生き抜きたい。

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