実は料理好き【自分で作ったものが1番美味しい?】

昨日はここ最近では珍しく、UberEatsが忙しい1日。2日前にダブルとはいえ13kmの配達があったからかどうかはわからないが、短い距離でほとんど途切れることなく配達。いつもこんな感じならいいのにというのはわがままだが、配達2回で原宿から八丁堀の先まで飛ばされると流石に萎える。

もっとも、こちらは運ぶのが仕事。頼まれればどこであろうと持っていくが、注文してから1時間近く経った料理って美味しいの?と聞いてみたくはなる。世の中には食いしん坊しかいないわけではないので、食べれればいいという人もいるのだろう。「次はないな」と思うお店でも、簡単には潰れないのは、それでいいという人も多いのだろう。

美味しいものを食べたい。いつから、こんな風になっだのだろう。大学時代にすでに、美味しいものを食べたくなったら行くお店があった。安くはないのだが、たまに贅沢したくなるときがあったし、そのお店に行くと嫌なことなんて忘れてしまう。美味しいものを食べると、不幸が少しだけ遠のいていく。

とはいえ、大学時代にこだわりがあったわけでもない。コンビニでバイトをしていたので、コンビニ弁当もよく食べていた。美味しいと思ったことはほとんどないが。美味しいものにこだわり始めたのは、自分で料理を作り出してからかもしれない。大学院時代にひとり暮らしを始めて、自分が作った料理の美味しさに驚きハマってしまった。

料理が得意というわけではない(苦手ではないが)。単純に自分で作れば、自分好みの味付けになる。だから、わたしにとってはわたし自身が最高のシェフになる。これは他の人でもそうだと思うのだが、どうやらそうでもないらしい。世の中には自分の料理が美味しくないと感じているようで、わたしにしてみれば不思議でしかない。

わたしもひとり暮らしを始めるまでは、家でインスタントラーメンくらいしか作ったことがなかった。親から料理を習ったわけでもない。完全に独学なのだが、習うより慣れろの世界だし、料理なんて醤油と味醂と酒があればなんとかなる。最近なら液体塩麹みたいな便利な調味料もある。これらを適当に配分して、野菜やお肉を煮込めば美味しいものができる。

我が家には砂糖と塩もあるが、ほとんど出番はない。普段作らないものを作るときに、レシピに書いてあれば使うくらい。あとは出汁をどうするかくらいだろう。出汁だって最近は美味しくて便利なパックがあるし、鶏ガラスープの素を入れて失敗することはない。どうしたって美味しくならない理由はないのだ。

もちろん、わたしの味覚に合うという意味での「美味しい」でしかないのだが。最近はほとんどないが、ときどき誰かに料理を作ると、それなりには喜んでもらえるので、社交辞令半分としても美味しくないことはないのだと思う。そうやって、毎日自分で美味しいものを作って食べていれば、自然と外でも美味しいものを食べたくなる。

間違っても5km以上遠くのお店に料理を注文することなどない。もっともUberEatsの注文アプリが、必ずしも近場のお店を表示するわけではないので、「いま頼めるもの」の中から、食べたいものを選んで注文している人も一定数いるのだろう。マンションの真下にローソンがあるのに、数キロ離れたローソンから水を頼む人もいるくらいだから。

いくら近場のほうが早く届くとしても、そこに配達員がいないことには注文もできないわけだし、ある程度は仕方ないのだろう。そういう意味では、きっとわたしが東京で暮らしても、UberEatsで注文することもないような気がする。結局、自分で作ったものが1番美味しいのだから、時間をかけて運んでもらう必要もない。

自粛期間中に自炊を始めたものの、しばらくして自分の味に飽きたという話を聞く。これもわたしは理解できない。わたしは自宅での食事は、ほぼ同じものをローテーションして食べている。朝ごはんは毎日変わらない。少し前までキャベツのサラダだったものがキャベツ蒸しになったくらい。それを毎日「美味しい」と感じながら食べている。

ここまで書いて気づいたのだが、もしかしておかしいのはわたしなのではないだろうか。美味しいものが好きなのに、飽きることなく同じものを食べ続ける。それも、毎回「今日も美味しい」となるのだ。記憶力に大きな問題があるか、味覚がどうにかしているか。それでも幸せなのだからいいとしよう。さて今日も、いつものようにキャベツを蒸すとしよう。

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