他人の目を気にするのではなく、他人の思考を想像する

あるコラムで「みんな周りの目を気にしすぎている」というニュアンスの文章があり、そこに少し引っかかってしまいました。周りの目を気にして高い服を買ったり、グレードの高い流行り物に手を出したり。もっと自分に必要なものを見極めて、自分の人生を生きようみたいな内容です。本当にそうなのでしょうか?

もし私が20代前半にそのコラムを読んだら、また別の刺さり方をしていたかもしれません。でも、46年も生きていると視点はどんどん斜めになって、同じ言葉でも受け取り方がまったく変わってきて、人間というのは面倒な生き物だなと思うのですが、斜めになりすぎて最終的には1周回って元に戻ることを願っています。

それはともかく、本当にみんなは周りの目を気にしているのでしょうか。私はむしろ周りの目を気にしていなさ過ぎな気がします。いや、正確に言えば相手の立場になって考えていない人が少なくないように感じています。周りの目は気にしているけど、その目は相手の目ではなく自分の目なのです。

少しややこしくなりました。例えば誰かが私を見ていたとします。私は見られていることを意識して行動を取ることになりますが、相手の目にどう映っているかを考えるときの思考が自分のものになっている。いや、こう書いても上手く表現できてないですね。こういうときに絵を描ける人はいいなと思うのですが。

見ている人が何を考えているかという部分に対する想像力が足りていない。独りよがりな「相手の立場」になっているケースが多いというのが私の感覚。もちろん、エスパーではないので、他の人が何を考えているのかなんて誰にもわかりません。ただ、だからと言って想像するのを諦めるのも違います。

私は宿のお手伝いをしたときに、白いシャツと黒いパンツを選びました。白いシャツが1枚しかなかったので2枚ほど買い足しています。なぜ出費をしてまでそこにこだわったか。それがお客さんからの信頼を得やすく、安心感を与えると考えたからです。その服装はUberEatsの配達をするときとは真逆で地味。

UberEatsの配達も清潔感を心がけていますが、こちらは食べ物を運んでいるので、清潔感だけでなく楽しさを演出する必要があります。だから、普段着ないような派手なウェアを選んでいます。いわゆるTPOというやつですが、このTPOができていない人が増えていて、いつでもどこでも好きな服を着るというのが、今の主流のような気がします。

「これが私の個性!見て!」みたいな感じ。それを良いと思わない人は感性が合わないとして排除していく。まあそういう生き方もいいでしょう。感性が合う人に囲まれた方が気持ちいいですから。でも、そういうことをしていると、本当の意味での「見られる」意識を養えません。カリスマ性のある人ならそれでいいのかもしれませんが。

ランナーでもシューズとウェアの組み合わせがおかしなことになっている人をよく見かけます。好きな色のシューズ、直感で選んだウェアを買い、それを身にまとう。それぞれの組み合わせを考えてないからチグハグなコーディネートになります。そうなるのは、やはり本当の意味での周りの目を気にしてないから。

クリエィティブな人ほど、自分を全面的に出していき、自分が良いと思ったものを追求する。だから自然と個性的になります。そして今はそれが良いことというムーブメントもあるので、みんな自分を見せるためにお金を使います。ただ私は自分がクリエィティブではない常識人だと知っているので、見せるのではなく見られるを意識します。

そして、それをしている人は意外と少ないように感じています。個性なんてものは捨てて、周りの人に安心感や心地よさを与える。自分のリソースを誰かのためだけに使う。これってとても楽しいことなんですけど、おそらく今の時代の生き方にはマッチしないのかもしれません。まあ私は古いタイプの人間ですから。

誰もが自由に生きられる時代ですから、そんな時代に自由さを手放すというのは愚かなことに思えるかもしれませんが、豊かさとか幸福感というのはそういうところにあるはず。別に豊かさも幸福感も入りませんけどね。ただ、相手の立場になって考えて行動したり選んだりするのは、みんなが思っているより心地いいこと。信じてもらえるかどうかはわかりませんが。

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