スポーツがフェアだったことがかつてあっただろうか

冬季オリンピックが始まって、立て続けに起こる疑惑の判定が大きな話題になっています。私はどの選手とも繋がりがあるわけでもなく、日本人だから応援するといったナショナリズムも持ち合わせていないので、中国をそれなりに知るものとしてこの騒動を楽しんでいます。

本来なら「もう中国でのオリンピックには出ない」と選手が声を上げるべきなのですが、スポーツの世界で中国を敵に回していいことはひとつもないのはすでに常識。多くのアスリートや団体が中国企業から何らかの支援を受け、大会のスポンサーなどにもなっているケースも多いので、中国排除はその競技の存続にも繋がるのが現状。

別にそれを何とかすべきとかも私は思いませんし、そこに関しては中国が上手だったというだけのこと。ここまで息を潜めてきて、このタイミングで一気に攻勢に出たといった感じ。諸葛亮孔明のような策士が現代中国にもいるのでしょう。コロナに合わせて一気に流れを持っていきました。

だからといって公平性を欠いていいというわけではないと、正義の人たちは言いますが、世の中に完全な公平性を保ったスポーツなどどこにあるというのでしょう。どのスポーツにも公平さとはかけ離れた、スポンサーの力や政治の力、人間関係のバランスなどが入り込みます。

マラソンのような競技でさえ、シューズの違い、ウェアの違いなど、さまざまな不公平があります。他の競技のように進路妨害などで失格になるようなことはありませんが、常にフェアなわけではないことは、シューズのソール厚さが決まった流れなどを見ていてもわかることです。この世界は誰かが得をして、誰かが損をするようにできています。

それを受け入れるべきだとは言いません。不満があるなら訴訟を起こしてもいいでしょうし、不正と感じたことを徹底して追及するのもいいでしょう。私が見たいのはむしろ、そのようなときに人間がどう動くのかということ。破滅に向かっていく人もいれば、バネにして伸びる人もいます。

訳の分からない信仰宗教にハマるかもしれません。そんな人間のドラマにこそ、見るべきものが詰まってると思うのは、私の持つ小さな狂気のひとつなのかもしれません。でもスポーツって、勝ち負け以外のところにも面白さがあるじゃないですか。私は敗者を美しいと思いますし、悲劇があるからスポーツを面白く感じます。

自分が当事者だったら、自分に近い人が当事者だったら、もちろん考え方は変わってきます。いまの私はブラウン管の前でドラマを眺めているだけの立場であり、自分が当事者になったら、それはドラマの出演者。自分に与えられた役割をちゃんとこなします。最大限の知恵を絞って相手を懲らしめることでしょう。

ただ今回のオリンピックはそもそも日本人選手に覇気を感じません。アスリートが輝くときは、独特のオーラのようなものがあって、運さえも味方にして活躍します。今回はその雰囲気がなく、最初から負け戦に向かっているように見えたのは私だけでしょうか。まるで「勝つな」と指示されたかのような、消化試合をこなしているだけのような。

もちろん選手は勝つためだけに頑張っているのでしょうけど、勝ちそうにない雰囲気、勝っても仕方がないという雰囲気が漂っていて、各選手の結果を見ると、どことなく腑に落ちるなと。実際のところ、国内ではそこまでは盛り上がってないように感じます。コロナ禍でそれどころではないからでしょうか。メディアの盛り上げ方、もしくは予算が足りないのでしょうか。

いずれにしても、きっとこの中国有利、中国の友好国有利のままオリンピックは進んでいくのでしょう。今回はそういうオリンピックだということ。命懸けでやってきた選手が報われないというのは正論ですが、オリンピックとはそういうイベントなんです。いま力のある国や開催国が有利になる。そうしないと続けられないから。

中国はそのアドバンテージを最大限に活かしています。ただ栄枯盛衰がこの世の中の常。正しくない者は自然と淘汰されていきます。中国がその自然の摂理にどう立ち向かうのか、私の興味はそこにあります。それも第三者としてですけどね。私の本当の興味は目の前の仕事をどうやって終わらせていくかだけですから。

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