失敗が悪で成功が善だという思い込み【失敗体験サービスが誕生する?】

UberEatsの配達で過去最悪の収益。6時間で5,100円というとんでもない稼ぎになりました。あと1時間粘ればインセンティブ込みで、7時間で7,000円にな理想でしたが、ランレコードの練習会があったので17時で切り上げ。注文がまったくなく、あっても1件300円が続きます。

渋谷を移動中に、スクランブル交差点で全労連の人が演説をしていました。労働者を守るために消費税を何たらかんたらと、言っていたようですが、その労働者の立場から言わせてもらえば、交差点のすぐ先で車を停めるのは、迷惑でしかないからやめてもらいたいということだけです。

昔から◯◯を代表して闘っていますみたいな顔している人が嫌いでした。労働組合みたいなものも、反政府活動みたいなのも。そんなことは頼んでないし、自分のことは自分でやるのが人間だろうというのが私のスタンス。もちろん、そのような人たちに救われている人がいることは重々承知しています。

ただ私はそういう人たちに守られたいと思ったこともありませんし、誰かを代表して闘っている人を見ると、暇なんだなと思うわけです。実際には忙しいのかもしれませんが、街頭演説なんぞする人は時間が余るほどあるのでしょうし、時間を切り売りしている身からすれば素直に「頑張って」とか言えないわけです。

配達の途中で、小学生が歩道橋の階段で転んでしまい尻もちをついた瞬間を目撃しました。その少し後に原宿の交差点で、厚底のサンダルを履いた大学生くらいの女の子が転ぶのを見かけました。人が転ぶのを見るのなんて、1年に1回あるかないかなのに珍しいことです。

まるでブログのネタに困ってそうな私に物書きの神様がプレゼント……人の不幸を喜んでいるようでよろしくないですね。最近、このブログを書くにあたって、以前のように頭の中にあることだけで構築しないという試みをしていまして。それはともかく、転んでしまった人の話。いや、そこから考えられる話。

もし、ワイドショーのコメンテーターが転倒を目撃したなら、おそらく小学生に対しては「歩道橋は危険ではないか、もっと安全な経路を確保すべき」と言うのでしょう。厚底のサンダルを履いた大学生には「そんな危険な履き物を売るのはどうか」みたいに、とりあえず批判するのでしょう。

裸足原理主義者が目撃したら、「足腰が弱っているのだ。やはり裸足こそ最高だ」みたいなことを言うはずです。どちらも私の穿った見方なのですが、まぁ大抵の人は「転倒=良くないこと」と考えています。もっと大枠で言えば「失敗=良くないこと」と考えているはずです。

でも本当に失敗は悪で、成功は善なのでしょうか。失敗も成功もただの結果でしかなく、そこに善し悪しはありません。人間がなんらかの行動を取れば、失敗することもあれば成功することもある。2本足で歩いていたら、転ぶことだってあります。そして失敗ほど人にとっての糧になることはありません。

最近は子どもや新入社員に失敗させないように、過保護に育てる流れがあるように感じるのですが、失敗を経験していないと、人生で大きな失敗をしたときに、それに対する耐性がないから心に大きな傷を負ってしまうのではないかと危惧しています。そうはいっても、失敗させられる余裕もないのかもしれません。

かつては「どんどん失敗しなさい。責任は私が持つ」なんて人もいましたが、もはや天然記念物くらい見つからない存在。社会に余裕がなくなっているんでしょうね。効率よく正解へと辿り着くことだけが求められる時代。それが少し極端になり過ぎているように感じます。

ここまで大きく振れると、10年後には反対に失敗を経験させる施設とかサービスができそうな気もします。全労連の人たちも、会社組織や国を叩くのではなく、それらに負けない人間になる方法を教えればいいのにと思うのですが。お前がやれと言われそうですが、社会的弱者の私は今日の稼げなかった分を取り戻すので忙しいので。

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