『甲子園』子どものころに追いかけた夢の続きがそこにある

  • 2014.08.21
  • (更新日:2019.11.13)
  • LIFE
『甲子園』子どものころに追いかけた夢の続きがそこにある

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実はわたしは野球少年だった。何度かこのブログでも書いたかもしれないが、小学1年の冬から小学6年まで週末は毎日少年野球の練習や試合に行っていた。ただ、才能と呼べるものはひとかけらもなく、しかも体つきが周りに比べて圧倒的に小さかったのでレギュラーなんて望めるわけもなく、そもそも試合出た記憶もほとんどない。それでもいつかは甲子園と思いながら小学校の間は野球を続けたのだが、何を思ったか中学ではハンドボールを始める。その辺の話はまたいずれ。

野球少年は神戸と大阪で育ったのでもちろん阪神ファン…なんてことはなく、父の影響で隠れ巨人ファンだった。完済は公然と巨人ファンだなんて言える環境ではない。特に私が子どもの時代といえばバース・掛布・岡田の時代だ。阪神ファンでなければ関西人にあらずという雰囲気しかなく、一度巨人対阪神の試合を観に甲子園に連れて行ってもらったが、そのとき巨人が勝ち、嬉しさを表に出さないように子どもながらに苦労したのを覚えている。

高校野球もおそらく1度観に行っている。野球少年にとってあこがれの場所だ。プロ野球で観る甲子園と高校野球で観る甲子園は別物だ。プロは特別なものだったが高校野球で甲子園というのはすべての野球少年の夢だったのではないだろうか。

とことが、その甲子園。高校でサッカーをはじめた私には遠い存在になっていった。まずわたしが進学した箕面高校には野球部がない。信じられるだろうか、野球部のない高校がいまの時代に存在するのだ。田舎の話ではなく、大阪にあるぎりぎり進学校と呼ばれる学校に野球部がないのだ。アメフト部があるのに…だ。

そしてわたしはサッカーの道を選んだので、夢は国立になっていった。社会人になってからも母校に野球部がなければ応援する気にもならない。甲子園というのは頭から完全に抜けたまま20年近くを過ごしてきたわけだ。

ところが、そんなわたしの目の前に甲子園が再び現れることになる。友だちの甥っ子が新潟の名門校である日本文理に入学したのだ。彼は小さなころから英才教育ともいえる環境で彼の父に鍛えられてきた。それはもう家族全体で彼の野球の環境を整えていて、成功するためにはこれだけのことが必要なのだと新鮮な驚きがあったのを覚えている。

そして、彼は甲子園への切符を掴んだ。残念ながら第二キャッチャーというポジションなので出番はほとんどない。それでもチームの一員として常に最高の準備をし、チームのためにできることをすべてやっているのだろう。

わたしはベスト4まで進めば応援に行くつもりだった。ただ今日の3回戦、9回裏に逆転サヨナラホームランという劇的な勝利をあげて、わたしの心が動いたのだ。明日甲子園に行かねば。そう思うが早いか、有給の申請を出していた。もちろん仕事に余裕があるからできたのだが、とにかく甲子園だ。

今夜の夜行バスで大阪に向かう。試合は明日の第4試合。自分が追った夢を実現させている若者たちのぶつかり合い。子どもの頃の気持ちになって応援してこよう。とにかく楽しみで仕方ない。

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