ソウルタウン〜帰るべき場所、自分を取り戻せる場所〜

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ソウルフードといえば自分のルーツだったり育った環境や地域に根ざした食べ物のことだ。本来の意味はアフリカ系アメリカ人の伝統料理のことだが、時代とともに変わるのが美人の定義と言葉の意味。大阪人のソウルフードはタコ焼きやお好み焼き、うどん。福岡人であればモツ鍋やとんこつラーメン。もちろんそれらは偏見だが、大筋では間違っていない。あなたにも特別な思いがある食べもののひとつやふたつぐらいあるだろう。それと似たようなもので特別な場所、ソウルタウンが今日のテーマだ。

もちろん、韓国のソウルとは何の関係もない。

多くの人にとってソウルタウンは故郷そのものだろう。ただ、わたしのような根無し草の場合、実家と故郷は一致しない。そのうえ10年以上同じ場所で暮らしたことすらない。そういう人間であってもソウルタウンはやはり存在する。そこにいるだけで落ち着ける場所、自分が原点に戻れる場所、最期に自分が帰る場所。人によってそれは北海道のような大きな範囲かもしれないし、場末のBARかもしれない。

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わたしにとってのそれが静岡の三島という街だ。三島には1年に満たない期間仕事の関係で暮らしていたことがある(正確にはとなり町の清水町で、そのことをはっきりさせておかないと叱ってくる清水町育ちの友人がひとりいる)。まだわたしがマラソンを知る前、派遣社員を支援するサイトを運営していた頃だから、8年前になるのだろうか。とくに何か大きな出来事あったわけではない。いまは居候同然の扱い(今日も皿洗いをしていた、もちろん自主的にだが)になっている伊豆の友人との交流も三島時代はほとんどなかった。

その三島に行くと特別な気持ちになる。今日のような青空が眩しい日に電車に揺られて移動していると目頭が熱くなるのを感じることがある。あなたが思っている以上に裸足の河童はセンチメンタルな心を持ち合わせている。

人生には二通りの生き方がある。家族を作り、その家族や仲間・大切な人を守るために生きていくか、夢を追い、自分の理想を追い続けるかのどちらかだ。まれに両方得ている人間もいるように見えるが、ほんとうの意味で両方を得ている人を私は知らない。どちらが良いとか正しいとかそういうことではない。いつも言い続けていることだが「すべては手に入れられない」のだ。わたしにとっての三島での暮らしは前者から後者へのシフトが始まった時期にあたる。

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あのころは「今日は何をしようかな」と休日のたびに考える余裕があった。そこからゆっくりと週末のスケジュールが埋まる生活になり、今では平日ですらやるべきことが山積み状態にある。貧乏暇なしを身を持って学んでいる最中だ。表現が正しいかどうかはわからないが最後に自由を得ていたのが三島での暮らしなのだ。だからと言って、そのころに戻りたいわけではないし、後悔などあるはずがない。ただ、どこかで夢を叶えたとき、夢にやぶれたとき、わたしはまず三島に戻ってくるのだろうという確信のようなものはある。

そういう場所があるから今日一日を頑張れる。そういう場所があるから自分を見失うことなく生きていける。

あなたにとってのソウルタウンはどこだろう。天気のいい秋の休日に訪れてみるといい。大勢の人でにぎわうテーマパークや観光地なんかよりもよっぽどすばらしい一日になることだけは保証しよう。

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