いま命が尽きたとしてもこれっぽっちも後悔しない生き方をしたい

P7163721

御嶽山の噴火から2週間経過して、まだ捜索が終わらない状態が続いている。最後の1人まで探しだしてほしいという思いと、2次災害になってはいけないという思いがあり、それでいて何も出来ない自分がもどかしくもある。山での災害という視点から考えると正直わたしも人ごとではない。山が好きで無計画に山に入ったりすることも多々ある。足を運ぶのは知らない山ではないとはいえ、災害までは想定に入れていない。火山ではなくとも土砂崩れや落石というのはいつどこで起こってもおかしくはない。

災害とは別に、事故というものも常に身近にあるものだということを忘れてはいけない。登山やハイキングであればゆっくり進む道を全力で駆け抜けたりするトレイルランナーはいつだって崩落の危険性がある。つい最近も有名なランナーが帰らぬ人となった。トレイルに慣れ親しんだ人ですらそういうことが起こるのだ。わたしのような飛び抜けたものを持っていないランナーが山を走ることがどれほど危険なことなのかは言うまでもない。

災害や事故を避けるには山に入らなければいい。実際のところそれ以外に選択肢はないだろう。想定できないから災害になり、想定していてもかわしきれないのが災害であり事故である。

でも、そうは言っても山に向かってしまうのが山好きの性分だ。危険とわかっていながらも自然と向き合うために山に入ってしまう。ときには制御しきれないスピードで走ってしまう。誰であってもそれを止めることは出来ない。山に入り自分のリミッターを開放する気持ちよさは経験したものでなければわからない中毒性の高い快感なのだ。

でも、最低限のことはしておかなければいけない。基本的には登山届を出すのがルールである。もしそれをしないのであれば1人で山に入らない。どうしても1人で山に入りたいなら、facebookやtwitterで自分の行き先をつぶやいておこう。できればこまめに写真を撮り、アップロードすることで災害発生時にプラスになるのは容易にわかるだろう。それは小さな山やトレイルであってもやらなければいけない。

それと同時に、自分の命には限りがあるのだということを常に頭に入れておくべきだ。災害、事故に限らない。自分の命が明日尽きたとしてもおかしくないのだということを意識しているかどうか。これはすごく大切なことだ。永遠ではないという意識は、その日その瞬間を切実にしてくれる。過ぎていった時間は戻ることなく、いつだって未来は約束されていないから、いまを全力で生きる。

いま命が尽きたとしてもこれっぽっちも後悔しない生き方をしたい。災害や事故に怯えるのではなく、むしろきちんと向き合いたい。まだその域には達していないが、今を大切にいつも全力でいればいつかはたどり着けるだろう。もちろん、常に安全には気をつけることは大前提だ。無理や無茶をしていいという話ではないことは付け加えておこう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次