母の日から2日過ぎたが、母について書いてみよう

  • 2015.05.12
  • (更新日:2019.11.13)
  • LIFE
母の日から2日過ぎたが、母について書いてみよう

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母の日は2日前だったが、ようやく今日電話をすることが出来たので、今日は母のことでも書いておこう。母はいま松山で一人暮らしをしている。数ヶ月に1度、実家のある島根県に通っているのだが、それ以外にもとにかく移動ばかりしているような気がする。この親にしてこの子あり…とはこのことを言うのだろう。

いまでこそほどほどに仲がいいが、幼少期は本当にこわい存在だった。毎日名前を呼ばれるたびにビクビクしていたものだ。名前を呼ばれるときはだいたい怒られるときと決まっていた。1日として怒られなかった日はなかったような気がする。もちろんまれに怒られない日もあるのだが、ちょっとした奇跡の一日だ。

とにかく躾が厳しかったように記憶している。あのときはただただこわかっただけだが、今となってはその点では感謝している。びんたされて、家の外に出されたこと数知れず…その過程でいいことと悪いことを学んでいったのだろう。そう思わないとやってられない…というほどでもないが、辛い記憶は美化するに限る。

そんな日々でも怒られないときがある。それはわたしが喘息で寝込んでいるときだ。いまでこそフルマラソンを普通に走っているのだが、幼少期のわたしはかなり体が弱かった。体も小さくて、アトピーで肌も弱い。年に数回喘息で寝込んでしまう。さすがの母もそういうときは怒らない。ただ喘息になるとこの世の終わりかと思うほど辛らかった。

そんな母に叩かれなくなったのはいつ頃からだっただろうか。中学に進学してから手は出されなかったような気がするが、怒られ続けていたのは変わりない。高校時代になるとわたしはちょっとした反抗期で、母とも父ともあまり話をしなくなる。親と距離を置くために必要な期間だったのだろう。その時期があるからいまの関係性がある。

母も父も厳しかったが、2人ともわたしがやりたいといったことを反対することはほとんどなかった。スイミングは無理やり通わされたが、少年野球もさせてもらったし、高校進学時も好きな高校に行き、大学進学時は関東の大学を受けることを認めてくれた。結果的に父の転勤が重なり、一家で関東に出てきたのは計算外だったが。

そんな母とうまく距離をとれるようになったのはインターネットの力が強い。わたしが書き始めたブログを母が読み始めたのが始まりだろうか。母もブログを書くようになり、mixiからFacebookまでやっている。いまではお互いの近況報告はブログでしているようなものだ。会っていないが、お互いのことをよく知っている。新時代の親子関係だろうか。

ネットでつながっている割に実際に会うのは年に数回しかない。今週も上京するらしいのだが、会えない可能性が高いのだとか。それでも仲が悪いわけではないつもりなので、幼少期の頃を思えばこれぐらいの距離感で上々だろう。わたしがわたしらしく暮らしているのを見てもらえればそれでいい。少なくともがっかりさせるような生き方はしないでおこう。

それがわたしに出来る唯一の親孝行かもしれない。

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