被災地石巻を走ったことで見えたこと感じたこと

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3.11を忘れない。多くの日本人がそう胸に誓っただろう。そしていまそれぞれの心に問いかけてほしい。あの日のことを忘れていないか、いまもまだ被災者であり続ける人たちのことが頭の片隅にでもあるだろうか。人間は忘れることで前に進むことができるのは事実ではあるが、忘れてはいけないこともあるのもひとつの事実だろう。

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そういうわたしも四六時中被災地のことを考えているわけでもない。だから今回のようにマラソンを兼ねて東北を訪れることができればいいと考えて、毎年1回は東北で走ることにしている。自分の足で東北の地を踏みしめ、自分の目で東北のいまを見つめておく。何が変わるわけではないが、できることはなんでもやっておきたい。

今回、数年ぶりに石巻を再訪したのだが、前回は海側の町を公園から見るぐらいのことしかできなかった。今回は町の北側にマラソン会場があったこともあり、多くの仮設住宅を外側からではあるが見ることが出来た。神戸のときも感じたことだが、仮設住宅はやはり異常である。

被災地の人たちは異常が通常になった状態で暮らしている。限られた空間の中に可能なだけの家族が暮らしている。プライバシーなんてあってないようなものだろう。お金のある人から家を建て直し、仮設住宅から離れていく。お金のない人はそのまま仮設住宅から離れることは出来ない。

そもそも石巻の町を離れてしまった人も大勢いるのだろう。かといってそのことで彼らを同情しようとは思わない。家を失うことも人生だし、目の前にある環境でいかに生きるかということが人生なのだ。あの環境の中にも豊かさや幸せというのは間違いなくある。それを見ようとするかどうかは人それぞれだが。

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正直なところ、わたしは石巻の町を重苦しく感じた。それは何も梅雨空のせいだけではないだろう。前回訪れたときはまだ町全体が興奮状態だったのかもしれない。「何があっても生きよう」「ここから復興を始めよう」そういう思いが伝わってきたが、時間とともにそういう思いは薄れ、どこまでも終わらない復興に疲れているように感じた。

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その一方で新しいことに挑戦しようとする若者が増えてきたように感じる。震災から時間を重ねたことで「みんなでがんばろう」が「それぞれががんばろう」という風潮になってきたのかもしれない。年配者の言うことを聞いていたのでは埒があかないと若者が思ったかどうかはわからないが、若者は立ち上がりつつある。

そういった空気まではマスコミは教えてくれない。やはり現地に行って自分の目で見るべきだろう。心で感じるべきだろう。何度も何度もこの町を訪れたほうがいい。もちろんそれが石巻である必要はない。人によっては陸前高田であったり松島であったりするだろう。それぞれにとって震災のシンボルとなる町に何度も足を運べばいい。

復興にはまだまだ時間がかかるだろう。この町の仮設住宅が全てなくなるまであとどれぐらいの時間がかかるのかはわからない。復興のためには継続した支援と「忘れないでいる」ことが重要になる。もう大丈夫だと思える日までわたしは石巻復興マラソンを走り続けることにしよう。

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