「アベ政治を許さない」という言葉が不快すぎる

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「アベ政治を許さない」いたることろでこのプラカードを目にした。はっきり言おう「不快」であると。先に言っておくがわたしは安全保障関連法案に関してはまったく興味がない。

まず興味がないということについて簡単に説明しておこう。テレビも新聞もない生活を始めると目の前からなくなるものがいくつかある。その代表的なものが「政治」と「相撲」だ。

相撲はともかく政治は積極的に情報を取りに行かなくてはほとんど情報は入ってこない。それでいまのわたしが困っているかというとそうでもない。

わたしは国にほんの少しの期待もしていないし、彼らがなにかをできるなんて思っていない。

それでも「アベ政治を許さない」という言葉には嫌悪感を隠す気にもならないほど不快だ。安全保障関連法案に反対でも賛成でもどっちでもいいが、もっと言葉を選ぶべきだろう。

「許さない」という言葉の重さをわかっているのだろうか。「許さない」という言葉は争いの始まりと言っていい。その思想が争うを生み、そして戦争につながっていく。

とても戦争状態になることを恐れて法案に反対している人たちの言葉とは思えない。

「許さない」からどうするというのか。暴力に訴える以外にできることがあるとすれば自民党に票を入れないということぐらいだろう。ならばそう書けばいい。「許さない」は言葉として暴力的すぎる。

人に向けていけない言葉というものがある。どんなに怒りを示したくてもだ。

「許さない」は「死ね」とかそういう類の言葉と同等だと思っていい。法案に反対するとか賛成するとか以前の問題だろう。そういうプラカードを疑問も持たずに掲げる人たちに危うさと怖さを感じる。

暴力的な言葉は争いしか生まないし、引っ込みがつかなくなる。

日常においてもそう。わたしたちは自分の意見やスタンスを表現する前に、もっと言葉を日本語を大切にしなくてはいけない。「アベ政治を許さない」とか「絶対に負けられない戦い」みたいな言葉遊びはただちに止めるべきだ。

少なくともわたしはあのプラカードを持った人たちに近づこうとは思わない。

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