努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している

Runner 728219

一番最初に入った会社の出来事。新人研修を行うというので内容を聞いてみたらあまりにもレベルが低くて「なんで?」と聞いたら「成功体験をさせて伸ばすため」ということらしい。

この答えに対してずっと10年近く「何かおかしくないか?」と思ってはいたものの何がおかしいのか悩んでいました。やっとわかりましたよ、何かの正体が。

成功体験は確かに人を成長させます。間違いない。

でもそれは「血の滲むような努力をしたうえでの成功体験」だけが人を本当に成長させるのであって、お手軽な成功体験で得られる成長なんて吹けば飛ぶようなハリボテの成長でしかないということ。

その程度で実力がついたなんて勘違いしたら、実際に仕事をするようになったらとんでもないことになる。特に技術派遣の会社にいたので、仕事場はお客さん先。勘違いしたエンジニアなど誰も求めていない。

なんでそんなことになったのだろう?きっと最初にいた会社の新人研修をする人たちは「血の滲むような努力」をしたことがなかったのかもしれない。

当時のわたしは「血の滲むような努力」というような表現を知らなかったけど、入社1年目の途中から機械設計の仕事をするチャンスを与えられて、それこそ命懸けて設計の基礎を実務の中で学んでいきました。

朝の8時に出社して深夜の3時まで働く。労働基準法違反だとか言わないでください。というか労働基準法とか三六協定とか守ってたら経験のある他の一流の設計者と同じ土俵では戦えるわけがない。

平日は寝ない、休日はわからなかったことを勉強する。給料はほとんど設計関係の書籍に使う。それの繰り返し。それがわたしにとっての「血の滲むような努力」になったのかもしれません。

つかんだ成功体験はわたしを成長させたけど、成功体験はなど結果でしかない。そこまでやれば誰だって成功できる。やるかやらないかしかない。

そしていま、ライターとしてランニング情報発信者として同じ状況に立っている。わたしが欲しいのは目先の簡単に手の入る成功体験ではない。血の滲むような思いをした人だけが手にしている実力だけが欲しい。

結果は必ず後からついてくると信じている。

「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している」ベートーベンの言葉だ。圧倒的な努力で成功を手に入れる。そしてわたしはまだ努力が足りていない。社会に出たばかりのときの気持ちを取り戻さなくてはいけない。

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