募金やチャリティーが特別だという雰囲気をなくしたい

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今朝の記事でパラカップを題材にチャリティーマラソンのあり方について書いてみましたが、その流れでもうひとつ書いておきます。

もう何度も書いていることなので聞き飽きた人もいるかもしれませんが、わたしは毎月1万円募金をしています。これは最初に独立したときからずっとなので、もう10年近くになるかもしれません。

貯金もせずに募金。アホだと思う人もいると思います。そしていまの月収が10万円台の前半なので収入の1割近くを募金していることになります。

別にそれを褒めてほしいとかそういうことではありません。

日本ではこういうことは公言せずにすることが良しとされる風潮があります。「自分はこんなにも世の中のためになることしてますよ」っというのは恥ずべき行動で、男は黙って行動せよと。

言いたいことは分かります。わたしもどちらかと言うとそうあるべきだと思っていますから。

でもあえてタイミングを見ては募金してますよと言っています。それは募金やチャリティーが特別ではない雰囲気を作りたいから。

今朝も書きましたがチャリティーに参加する人たちは意識が高く、そして潔癖な空気を醸し出しています。あの独特な空気感がチャリティーや募金を胡散臭いものにしているような気がします。

まぁ胡散臭いイメージにもなりますよね。テレビ局が大金使ってチャリティー番組を垂れ流す時代ですから。

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でも他人がどうとかいうのではなく、あたり前のこととして募金ができる文化があるといいなと、わたしは考えています。

どこかで災害があったら、まずは募金する。手元にある小銭をコンビニの募金箱に入れるのでもいい。そういうことをこの国の人たちがあたり前にできるようになるといいのになと思うわけです。

もっとも別に募金をする人が偉いわけでもありませんし、募金をしないから悪いわけでもありません。

わたしは仕事をするだけの健康な体があり(1年以上胃潰瘍ですが)、生活していくだけの仕事がある。そんな恵まれている環境にあることを忘れないために募金をしているだけです。

ただチャリティーや募金に特別感を作りたくない。だからあえてこうして文章にして伝えています。

そのためにはチャリティーが美しいという幻想も、募金する人が素晴らしいという幻想も壊していきたい。

このブログを読んでくれている人たちが知っているように、わたしはとてもじゃないけど立派な人間ではありません。大雑把で適当に好きなことだけをして生きています。

意識も高くなく潔癖でもない。そんな人間だからこそ伝わることがあるかなと思って書いていてみました。

読んだ人の心のどこかに引っかかってくれると嬉しいのですが。

またみんなが忘れたころに書くとしましょう。

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