誰の上にも立てないけど、誰の下にもつかないというスタイル

  • 2016.05.26
  • (更新日:2019.11.13)
  • LIFE
誰の上にも立てないけど、誰の下にもつかないというスタイル

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高校時代、所属していたサッカー部には3バカトリオと呼ばれる3人がいたのですが、わたしはその3バカに入れないほどの劣等生。下手くそなくせにサッカー選手になることばかり考えて、勉強なんて一切しませんでした。

進級に関係ない実力テストで0点だったとしてもまったく気にせず、進級に関わるテストでも高校1年から2年までのあいだ、英語はずっと赤点を取り続けました。

2年の夏休みに「これを明日までに終わらさなきゃ進級させない」と1cmぐらいの厚みのある課題の束を渡されたにも関わらず、それを持ってサッカー部の練習試合に向かったのを覚えています(そうえいば、あの課題どうしたんだろう・・・)。

学校という場所ではどうしても勉強ができる子とそうでない子に分かれてしまいます。

できない中でも、やればできるけどやらない子、一生懸命頑張ってるのにできない子もいます。ただ自分も含めて勉強が出来ない子たちにも居場所がありました。

出来ないことが決して悪ではありませんでした。

ところが大人になると、社会人になると出来ないことがいきなり悪になります。失敗することや出来ないことが許されなくなります。あたりまえですが仕事にもできるできないがあるにも関わらず、できないことが悪になります。

誰もがスティーブ・ジョブズであることを求められ、誰もが松下幸之助でなくてはいけないという風潮。

世界を変えるのは一握りの天才ですが、世界を支えているのは大多数の凡人。

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社会人になってずっと不思議だったこと。それはどの会社も「スキルアップ」をテーマに掲げているということ。1年間のスキルアップ計画を立て、それの進捗管理を行い、会社によってはそれを賞与の査定に利用します。

ただ、わたしが知るかぎりそのスキルアップ計画が成功している会社はありません。スキルは計画を立てて磨くものではなく、必要に迫られて初めて磨かれるもの。本当に必要なら計画しなくてもスキルアップしていきます。

会社に求められるのは社員をスキルアップさせることではなく、仕事ができない人はどうしてもいるのだということを認めること。そしてその上で適材適所をするということ。

もっと言うならば、仕事での失敗やミスを叱らないこと。

仕事での失敗やミスは人間が行っているから絶対に起こりうることですし、世の中は100点満点取れる人間ばかりではないことをわたしたちは知っているはずです。

ただし、自分自身の失敗やミスを認めていいかというとそれは違うような気がします。

他人の失敗には寛容であってもいい、寛容であるべきだと思いますが、自分の失敗やミスは絶対に許さない。もちろんなにかに挑戦しているとき、失敗やミスはどうしてもついてきます。

それを「人間だから」と言い訳するとまた同じ失敗を繰り返してしまいます。

でも人はやっぱり他人に厳しく自分に甘くなってしまいます。心のどこかに「自分は他の人よりも優れている」という気持ちがあるから。

特に学生時代成績優秀だった人や、スポーツで抜きん出ている人。起業して成功者と呼ばれる人たちは、ほぼ間違いなく「自分は他の人よりも優れている」の気持ちが言動に現れています。

まぁ実際、優れているのでしょう。それぐらい傲慢でなければ成功者にはなれませんから。

そしてわたしに決定的に足りないのはその傲慢さ。

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まぁ傲慢になれと言われても無理があります。高校時代が学年で後ろから3本の指に入るレベルで勉強はできませんでしたし、サッカー選手にもなれず、いまも自分の周りには化物のような人がいっぱいで、しかもそういう人が増え続けています。

もうどんな人と一緒にいても傲慢になんてなれません。

ただ傲慢になれない代わりに身につけたのは、誰かに媚びたりしないということ。

リスペクトすることはあっても、媚びたりご機嫌取りをしたりは絶対にしないし、どんなにすごい人でもフラットに接する。

誰の上にも立てないけど、誰の下にもつかない。

このスタイルがダメにした人間関係もありますが、このスタイルだから築ける人間関係もあります。

そしてわたしはこのスタイルが気に入っています。

天下を取る器でもなく
天下に収まる器でもない
歪で使いみちのない器

世界には何十億人もの人間がいるのですから、そんな奴が1人ぐらいいてもいいような気がします。

あ、これは自分への甘さか・・・

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