10年近く前のある日わたしの心の中を風が吹き抜けた

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派遣で働いていたころの話ですが、わたしは派遣社員を応援するサイトを運営していました。当時は同じようなサイトがいくつかあり、たくさんの人が派遣社員という立場の人たちをサポートしていました。わたしのサイトもそんなサイトのひとつでした。

相談掲示板を設置していたので、毎日のように相談の書き込みがあり、睡眠時間を削りながらそのひとつひとつの悩みと向き合っていました。さすがに今は睡眠時間を削るような向き合い方をすることができませんが、その1対1の向き合い方が今のわたしのスタイルの原点になっています。

自分で言うのもなんですが、こう見えてそこそこおせっかい焼きなんです。でもそこでのアドバイスは基本的にはいまとあまり変わりません。「困ったら逃げろ」「戦うのはエネルギーの無駄」「相手の立場になって考えろ」そんなことばかり言っていたような気がします。

当時の過激派の派遣社員の人たちからしたら、弱腰で邪魔な存在だったかもしれません。いまの裸足業界での立ち位置にもどことなく似ています。

人間は10年程度では変わらないということの証明かもしれません。

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当時はちょうどmixiのようなSNSの人気が高まった時期で、派遣専門のSNSも立ち上がっていました。今はなき派遣茶というSNSで、10年前に派遣で働いていた人たちは覚えているかもしれません。

わたしはあまり記憶力がないのであまりはっきりとは覚えていませんが、派遣茶でもmixiでも派遣関係の人とつながって時には相談に乗ったりしていました。

その中の1人に心の病気、分かりやすくいえば躁うつになっていた人がいました。派遣という働き方をしていると、精神的に参ってしまうこともありますが、その人が躁うつになった理由までは知りません。わたしが出会ったときにはすでにそのような状態だったので深くは聞いていません。

躁うつなのでいいときと悪いときがはっきりしていました。楽しいことがあったあとは必ず落ち込む時期がありました。気持ちが高まれば高まるほど落ちたときの底が深くなります。

わたしは落ち込んでいそうなタイミングになると遊びに誘ったり、メールを送ったり電話をしたりしていました。

その間も病院通いを続けていたようですが、あまり改善することもなく、そのまま躁うつの状態を抱え続けていました。

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ある日、その人の大切な人が大きな病気にかかってしまいました。

そのときの落ち込みようというと「人生のどん底というのはこういうことを言うんだな」と感じたことを今でもはっきり覚えています。あの日も深夜のかなり遅い時間まで電話をしていました。電話を切ってしまうとその人が消えてしまいそうで電話を切ることができませんでした。

ところがそのあとに「大切な人はもう大丈夫になった」と連絡がありました。その瞬間にわたしの心の中を風が吹き抜けました。そしてなぜかわたしは「この人も、もう大丈夫だ」と確信しました。

実際にそこから大きな躁うつ状態からは脱することができたようで、いまでは結婚もして幸せにやっているようです。その人とはまだ微妙につながっていますが、あの日依頼ほとんど連絡を取っていません。

何が言いたいのか、ちょっと上手く伝わっていないと思うのですが、分かりやすく言葉にしてはいけないように感じるので、細かな解説をするつもりはありません。

ただそういうことがあった。それだけを書いておきます。なんとなく今日これを書いておいたほうがいいかなと感じたので。


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著者:敷村良子
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