フィデル・カストロにモヒートを

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2001年夏。カーニバル初日にわたしはハバナに降り立ちました。カーニバルに合わせて来たわけではありませんが。HISで予約したホテルに、同じくHISが手配した送迎車で向かいます。

キューバに行くのを決めたのは、カストロとゲバラの革命戦士たちの作った未来を観に行きたかったから、というわけではありません。当時付き合っていた彼女に振られて、することもないので村上龍の小説ばかり読み、村上龍にのめり込んでいたわたしは、彼の影響を受けて、会社の夏休みを利用してキューバに向っただけのことです。

村上龍が何度も訪れるキューバ、当時世界の話題となっていたキューバ音楽を自分で感じるため旅。

なんでも自分で感じないと納得出来ないのがわたしのスタイルは、あれから15年経ったいまでも当時からまったく変わっていません。村上龍がそこまで素晴らしいというのであれば、自分の目で見てやろうという思いだけでわざわざキューバまで足を運んだわけです。

キューバにはアメリカから直接入れませんので、メキシコのカンクン経由で入国することになります。その都合で、当時はおそらく日本からは最も時間がかかる国だったように記憶しています。

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わたしはいきなりハバナ空港でキューバに対する強烈な印象を受けることになりました。

世界で注目されていたブエナビスタソシアルクラブというキューバ音楽のバンドと同じフライトだったのですが、キューバにおけるスーパースターの彼らが、入国審査であたり前のように一般人のわたしの後ろに並びます。

「誰であっても特別扱いはしない」これがキューバの全てと言っていいかもしれません。

想像してください。海外から帰国したときの日本の空港で自分の後ろに宇多田ヒカルが並んでいる画を。実際のところブエナビスタソシアルクラブは、キューバにしてみればおそらく宇多田ヒカル以上の存在です。大事な外貨を稼いできてくれる人たちなのですから。

このあとキューバに滞在中に何度もキューバ式の「平等」を目にすること、実際に感じることになります。

たとえば、地元の子どもたちと遊んでいると「ドリンクを買って欲しい」とせがまれたことがありました。これは他の国である物乞いとは違います。キューバではお金を持っている人が支払うのがあたり前という文化があります。

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ひとつのものをみんなで分けるとき、割り勘になるのではなくお金を持っている人が払う。それがキューバ式の平等です。難しいことは抜きにして「払える人が払えばいいじゃない」そんな陽気なノリがキューバにはあります。

その結果、いつも日本人のわたしが払うことになるわけですが、彼らもきっと大きくなってお金を稼ぐようになったら、近所の子どもたちにおごるわけです。

日本にもかつてそういう文化がありました。先輩が後輩にごちそうする。そういう考え方は上下関係を嫌ういまの若者にはないのかもしれませんが、少なくともわたしは先輩に奢られ、後輩に奢る時代を味わった世代です。

日本と違うのは奢られてもお礼を言わないということです。なぜならそれがあたり前のことだからです。彼らにとって誰が払ったかはそれほど重要ではありません。

多少は自分の資産という感覚はあるのかもしれませんが、基本的には自分のお金もみんなのもの。みんなのお金も自分のもの。これがキューバで知った日本にはない平等の形でした。

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そしてキューバで知ったもうひとつのことは、灼熱の陽射しのもとではモヒートを飲んでもまったく酔わないということ。

乾燥した空気というのもあるのですが、キューバでは暑さを感じにくいのですが、実際の気温はとても高い状態ですので、少し歩いただけで喉が乾きます。そんなときの飲むモヒートの酔いは、照りつける陽射しによってあっという間に蒸発してしまいます。

とにかく陽気なキューバの人たちはカーニバルの期間でも仕事をしています。遊びは遊び仕事は仕事。陽気で真面目で人懐っこい。これがカリブの海に浮かぶ社会主義国に暮らす人たちの姿でした。

あれから15年も経過し、いまではアメリカとも国交を回復させつつあるキューバには、かつての面影はもうほとんど残っていないのかもしれません。

フィデル・カストロの死によって、ひとつの時代が終わりを告げました。

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わたしはフィデル・カストロにもチェ・ゲバラにも傾倒していません。ただキューバで暮らす人たちからは、自分の常識とは違う常識が地球の裏側にはあるのだと教わりました。これがわたしの「いろいろあっていい」という考え方の原点となっています。

そしてキューバの人たちが安心して暮らせる社会の基礎を築いたのは紛れもなくフィデル・カストロです。

33歳にして革命を成し遂げ、そしてアメリカと真っ向勝負で向き合い続けた反骨精神。キューバと出会い、わたしは彼から多くの影響を受けることになりました。

わたしがフィデル・カストロのように世界を変えることも、世界を驚かせるようなことはないでしょう。それでも彼から学んだことはわたしの中に残り続け、わたしの判断に影響を与え続けます。

彼はもうこの世にいませんが、わたしの中のフィデル・カストロが消えることはありません。わたしの中で生き続けるなんてキザなことは言いませんが、彼が残したものは、酔うことのない灼熱の太陽の下で飲むモヒートの記憶とともにわたしの中で根を張っています。

おそらくキューバに行くことになるのはハバナマラソンになるでしょう。そのときはキューバで暮らす人たちにモヒートを奢るとしましょう。彼らと彼らの中にいるフィデル・カストロに。


冒険者カストロ
著者:佐々木 譲
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