無駄の中にある豊かさや美しさを手放すわけにはいかない

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このブログの検索キーワードとして一番に上がっているのが「一人暮らし 洗濯 手洗い」だそうだ。こう見えてランニング中心のブログのつもりなのだが…。ちなみに第2位は「無印 アイロン」。冷静に考えればミニマリストのブログにでもしたほうが正しかったような気がする。

わたしのランニングも余計なものをそぎ落としていくことを理想としているので、ランニング界のミニマリストというのはありかなとは思う。こういうものは名乗ったもの勝ちである。もっともそもそもランニングはかなり最小限の道具で成立しているので、裸足ランナーのほとんどがミニマリストということになれる。

それはともかく、洗濯の手洗いが検索にひっかかるということは、この時代にあっても洗濯機を不要と思っている人がいるのか、それとも洗濯機とは別に手洗いの仕方を知りたいと思っているのか。残念なことにこのブログでは手洗いの方法など一切述べていない。そういうのはYouTubeででも検索すればいい。

洗濯機を手放してそろそろ1年が経過するが、旅から帰ってきたあと以外に困ったことは一度もない。洗濯のできる旅ならそれほどでもないが、洗濯の出来ない旅の場合は家に戻ると数日分の洗濯があるのでさすがに滅入る。その分量で滅入るのだから家族がいる人が全部手洗いなんていうのは狂気の沙汰だろう。

あくまでも独身男性が自分の洗濯物を毎日洗うという条件において、洗濯機よりも手洗いのほうが優れているとわたしが勝手に思っているだけの話。間違っても家族がいる人が真似ないように注意喚起が必要だ。ただ、現実の話として数十年前まではすべての洗濯は手洗いだったことを忘れてはいけない。

社会においては合理的であったり効率のよいものが優れているような評価をうける。でもその合理化や効率化が目的になってはいけない。そこを目的にすると、それによって起こる弊害が目に入らなくなる。抗菌抗菌言っていると、気がつけば人間の免疫力が低下していく。シューズばかりに頼っていると人間本来の走る能力は失われていく。

確かに洗濯機は便利だ。便利だがそこにほんの少しの魅力も感じない。手洗いには魅力がいっぱい詰まっている。洗濯そのものが楽しい時間になるのだ。それはもう子どもがゲームにハマるようなもので、わたしは手洗いにハマっている。きれいになりやすいとか衣類の消耗とかそんな理屈はどうでもいい。手洗いは純粋に楽しいのだ。

効率がいいからとかエコだからとかそういうのは、ほんとどうでもいい。仕事でいつも効率や合理性を求めているなら、私生活ではもっと非効率で無駄のある暮らしをしていたい。わたしたちはロボットではない。無駄の中にある豊かさや美しさを手放すわけにはいかない。

そしてわたしは今日も洗濯物と向き合うのだ。洗濯物と向き合う時間は自分と向きあう時間。いや違うな、無になれる時間だな。この時間があるからわたしはわたしでいられる。

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