365個のモノを手放すということ

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本日ようやく365個のモノを手放す企画が終了した。本来なら8月末で終了だったはずだが、長期家にいないことがあったりしたのと、終盤に本当に手放すものが見つからない状態に陥って、思うように進めることが出来なかったのが想定外だった。

これを始めたとき考えていたのは「1人で生きていく」ということだった。1人で生きていくということは1人で死んでいくということで、例えば自分が死んだとき家がモノで溢れていたら残された人が大変だろうなと思ったのがきっかけだ。

もちろん「1人で生きていく」というのは人を避けて生きていくという意味ではなく「家族を持たない」という意味だ。絶対に結婚しないなんてことは言わないが、決意としての行動は必要だった。

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ゆっくりとモノが減っていき、すっきりしていく暮らしをしていくにつれて、意識が変わってきた。本当に必要なモノはなんだろうか。どうしても手放せないモノがありなぜそれを手放したくないのかを自分に問いかける。

それを繰り返すことで自分という人間が明確になっていく。本当に大切にしたいモノは何?その問はモノだけにとどまらず、身の回りのありとあらゆるものに広がっていく。

ものが減っていくのに反比例するかのように増えていく裸足で走る時間。そして大きな決断にい繋がっていく。自分は何をしているときが一番楽しいのかを突き詰めていく。そしてそれを手にするために手放したのは正社員という働き方だった。

安定した収入と仕事。機械設計の仕事は自分に向いていたし、天職だったといまでも思っている。ただそこに情熱がない。熱く燃えていなければ人生じゃない。少なくとも重松貴志の人生としては許容できなくなってしまったのだ。

始めたときはこんなことになるなんて思いもしなかった。この結果がいいことなのか悪いことなのかはわからない。ただモノを手放すことで自分と向き合い続けた1年だったのは間違いない。

すでに「1人で生きていく」という考え方すら手放している。わたしはいつだってフラットで柔軟に生きていくことにした。未来を決める必要なんてない。モノを手放すことで「今」だけを大切にする生き方をわたしは手にしたのだ。

最後の一品に驚くような特別なものを持ってこなかったのは、すでにわたしの変化という形で驚きを提示したと感じているからだ。モノを手放すことで人は変わっていくことができる。

何かに行き詰った人は、身の回りに無駄なものがないか見回して欲しい。そのモノがあなたを苦しめている可能性がある。

身軽でいよう。わたしたちはもっと自由に生きられる。

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