第4回東西対抗東海道ウルトラマラソンレポート〜1日目〜

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押すな押すなと言っていた彼が、本当は押してもらいたかったのだと知ったのはいつの頃だったのだろう。人の言葉には裏があると知ったとき、ただ面倒だと思った。

走ることが好きなのは、自分に正直でいられるから。誰かの発する声を裏読みしなくてもいいから。限界まで追い込まれたとき、人は誰だって正直になれる。もしそうでないなら、きっとそこはまだ限界ではないのだろう。

東京日本橋から静岡天竜川の東端までの250キロ。本当に250キロなのかどうかはわからない。ただ国道の標識には「東京から250km」と書かれてある。それは東海道における本当の中間を示すものではない。

西は三条大橋、東は日本橋。その距離がおよそ500キロなのはよく知られている。

だけど250キロの間まで両端からスタート競い合って、どちらが過酷なのかはわからない。250キロという距離よりも向き合わなくてはいけないものが、東西対抗東海道ウルトラマラソンにはある。

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東軍で2年連続して出場していた立野さんから「出られなくなった」と連絡を受けたとき、一瞬の躊躇もなく「自分が走ろう」と決めた。できる、できないという話ではない。細々とではあるものの、なんとか継続してきたイベントを途切れさせたくなかった。

西軍で3連覇中の出口さんも快く了承してくれ、日本代表経験者とのガチンコ勝負。そう思っていたのもつかの間、今度は出口さんが「仕事があり、31日からしかスタートできなくなった」との連絡。

こちらも31日からスタートというのも考えたが、あえて30日スタートにして、1日のハンディをもらうことに。

なにせ、出口さんは250キロを2日で走ろうというのだ。日本橋から小田原までの80キロですら、1度も走り切ったことのないわたしに勝ち目がない。場合によっては2日もゴールで待たせることになる。

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わたしはいくつかのプランを立てていた。その中のひとつが初日に箱根を越えるというチャレンジ。初日に113キロの箱根越えは、過去3回の大会で誰も達成したことがない。みんなわたし以上の走力があるにもかかわらず。

ただ、2018年の年末3レースで感じたのは、自分が過去に足を踏み入れたことのない領域にいるということ。「もしかしたらもしかする」ということで、最速プランに2日でゴールも入れておいた。イメージしない目標が達成されることはないのだから。

だか、そのプランは初日の早い段階で断念することになる。18時までに小田原に入れば、なんとか箱根を越えられると判断していたが、箱根どころか権太坂を上り、下り坂に入ったところで異変に気付いた。

目がちゃんと見えてなかった。走っている最中に車酔いする感覚があり、体のどこに異変があるのか確かめてみた。上下斜視。標識の文字を読み取れないくらいズレて見えていた。

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どうやら蓄積したストレスが神経系にダメージを与えたのだろう。そういえばレース2日前の夕方練習でも眩暈を覚えたが、あれも斜視だったのだろう。台湾で拗らせた風邪の影響もあったのかもしれない。

目先の問題は、前を見て走れないということだった。片目にすると遠近感がなく、ちょっとした段差にも引っかかりそうになる。両目を薄く開けるようにして、最低限の視界ならなんとか走れるが、スピード感が完全に狂ってしまう。速いのか遅いのか、感覚ですら分からない。

茅ヶ崎から、体づくりを1度教えたことのある重松さん(たまたま同姓)が並走してくれたのと、万里の長城マラソ仲間の草野さんが応援に駆けつけてくれたので、なんとか集中力を維持できたが、それがなかったらリタイアしていたかもしれない。

18時少し過ぎに小田原宿に到着。これはもう、先に行くしかなかった。レギュレーションは5時から23時までが走行可能時間。冬の東海道を知っているわたしが危険回避のために決めたもの。18時で切り上げたら5時間無駄になる。

それでは出口くんに抜かれてしまう。

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わたしは3時間ちょっとで箱根を越えたことがあるので(その時は箱根湯本からだったが)、5時間あればなんとかなると判断した。日が落ちて視界が狭くなったのもあって、斜視もいくぶん落ち着いている。箱根に入れば灯りは手元のライトのみ。足元以外を見る必要もない。

ただ、最速プランの沼津まで行くのいう案はなくなっている。三島に泊まれるホテルがあるのを確認して、気持ちを固めた。あとは気合と根性だけの世界。覚悟を決めて、走り抜けばいいだけのことだ。

残り5時間で30キロ、いま考えても正しい判断かどうかわからない。

上り始めてここまで並走してくれた重松さんが遅れ始める。だが、気をかけている余裕はない。これはレースであり、自分のために走っている。箱根は未開の地ではないので、遅れても自分でなんとかしてくれると信じて先を行く。

一気に駆け上がりと言いたいところだが、すでに90キロ近くを走ってきた体は簡単に悲鳴をあげる。ただ、この日ばかりはその声を聞いている場合ではない。雪が残る氷点下の箱根で立ち止まることはレースの終わりを意味するから。

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箱根は完全に闇の中なので、いつも通るショートカットのトレイルは使えない。ただ箱根の旧道は歩道がないところもあり、車の往来も少なくない。歩道も決して走りやすくはないので、状況判断をしっかりして、最適なルールを選んで芦ノ湖へ。

芦ノ湖からはひたすら下るだけ。残り15キロで2時間。痛みに耐えることさえできれば、時間内に三島にたどり着くことができる。耐えるだけなら得意分野だと、自分に言い聞かせた。

こういうときはほんの少しでも心のスキを見せてはいけない。

「みんな苦しんできた」と過去のレースを思い出し、その苦しみを自分も味わえることに感謝した。人間には限界の向こう側に行かないと見えない景色がある。それは挑戦をした者だけに与えられる権利でもある。

とはいえさすがに足裏は限界で、ところどころ硬い石畳になっている歩道で顔がゆがむが、スピードは緩めない。

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23時ちょうど。三嶋大社前を通過して、その先にあるホテルに飛び込んだのは、制限時間ギリギリのタイミングだった。とりあえず初日を乗りきったことに安堵したが、まだ135キロも残っている事実(並走の重松さんは遅れたものの無事到着)。

さてどうしたものかと思いながら、わたしは柔らかなベットに身を委ねた。


大谷翔平 挑戦
著者:岩手日報社
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