マラソンは準備と積み重ねのスポーツである

マラソンはとてもシンプルなスポーツです。自分の持っている体力を見極めて、上手に42.195kmで使い切る。でも、自分のコンディションも影響しますし、気温や湿度なども関係します。

細かく言えば、コースのアップダウンも影響しますし、路面の粗さだって関係ないわけではありません。

無限とも思える状況を上手く判断して、上手に体力を分配する。トップランナーでも最近は駆け引きをすることがなくなり、勝つことよりも自分がベストを尽くすことを重視するようになっています。

「順位は相手がいることだから気にしたって仕方ない」これが今の主流ともいえる考え方です。トップランナーですらそうなのですから、わたしたち市民ランナーなら言わずもがなです。

誰かと競い合うわけではなく、自分がいい結果を出すために、しっかりと準備をしてスタートラインに立つ。スタートラインに立ったら練習通りに走るだけ。でも、ほとんどのランナーがそこまで練習はしません。

だって、マラソン以外にもやりたいことがあるじゃないですか。日々の生活の中でランニングのプライオリティが高いという人は、それほど多くありません。いないわけではないでしょうけど、全体の1〜2%程度ではないでしょうか。

別にタイムなんていうのはどうでもいいと思っています。人によって向き不向きもありますし、筋力に違いもあります。それこそコンディションによって変わるものですから、タイムは水モノです。

でも、どのような準備をしてスタートラインに立つのかは、その人のスタンス次第だと思います。程々にトレーニングして、完走できればいいかなという人もいれば、毎回命を削るような過程を経てスタートラインに立つ人もいます。

いろんな人がいるからマラソンは面白い。いろんなアプローチがあるから、これだけ多くの人が魅了されるわけです。

そして、どんな人であってもやっぱりスタートラインに立つことがすごいことだと思います。完走できないとしても、自分の意志でスタートラインに立つ。たとえゴールにたどり着けなくても、それは美しい。

逆にスタートラインに立たないという選択肢もあります。これすら美しいのがマラソンです。走りたい気持ちを抑えて、いま走るリスクと自分のランナー人生を天秤にかけて、やめておくという決断。

どこを切り取っても、余すことなく画になります。

ただ、ほんの少しだけ「もう少しコツコツ積み重ねたらいいのにな」と思うことはあります。その人の生き方なので口にすることはありませんが。やっぱりマラソンは準備のスポーツであり、積み重ねのスポーツです。

ただ、簡単には結果が出ません。地道に毎日積み重ねて、1年くらいしたところで「変わったかも」と気づくレベル。だからみんな、途中で積み重ねるのが嫌になるのかなと思ったり。

ランニングは習慣化できるかどうかがすべてだと思っています。毎日お風呂に入るのと同じように、毎日あたり前のように走る。そうなると走ることが日常になり「練習をしている」という感覚すらなくなります。

その延長でマラソン大会を走れるのがベストです。マラソン大会は積み重ねた結果を確認する場所。そうなれば、スタートラインで気負うことも緊張することもなくなります。

そうはいっても42.195kmはとても長く、心が挫けそうになることもあります。そこはやっぱりレースの中でしか体験できないことですし、レースの中で乗り越えていかなくてはいけないことです。

ただ、きちんと積み重ねていたなら、その準備は出来ているはずです。乗り越えられるだけのものをすでに手にしてて、あとはそれを信じられるかどうか。信じられるかどうかは、やはり練習にかかっています。

そこに1ミリでも甘えがあったら、自分を100%信じるのは難しいかなと思っています。わたしは自分に自信を持てないタイプなので、やっぱり練習しかありません。自分で納得できるまで積み重ねる。

もちろんオーバートレーニングにならない範囲内で。

才能があれば、自分を信じることも難しくないのかもしれませんが、少なくともわたしには走る才能はありません。それは自分が一番良く分かっています。でも、それを知っているから積み重ねることができます。

そんな凡人の全力も受け入れてくれるのがマラソン。戦いはいつだって他の誰かではなく自分自身と行うもの。鈍くさい自分なりに積み重ねたものが、結果として現れる。偶然ではなく必然としての結果が出ます。

だからわたしは、今日もまた1歩を積み重ねていくわけです。


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著者:ロリー・バーデン
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