キロ3分の領域に半歩踏み入る

最近になって、マラソンのポイント練習をきちんと行うようになりました。走歴13年です。これまでは雰囲気でやってきました。体に必要そうなことをその時々の感覚で選んで。

でも、そのやり方に限界を感じていたので、まずは陸上の基本となるポイント練習を取り入れたわけです。3日に1回のポイント練習で、400mのインターバルと10kmのペース走を交互に行っています。

まだ始めて1ヶ月も経過していませんが、面白いように速くなります。始めて400mを走ったときには80〜82秒かかっていました。昨日の1本目に71秒台が出ています。10秒近くタイムが縮まったことになります。

そもそもの80〜82秒が遅すぎるという話はありますが、1ヶ月もせずに400mが10秒も縮まるなんて思いもしないので、時計を2度見してしまいました。

ただ、その後はグダグダになって、8〜10本目は立っているのがやっと。それでも75秒台です。タイムはとても分かりやすい指標ですが、それ以上に分かりやすいのが疲労度です。

最初の頃よりも体を追い込んでいるのが分かります。要するに、現段階では筋力とか持久力とかいう話ではなく、自分でリミッターをかけていたのでしょう。それを3週間程度かけて解除している段階。

400mを72秒というのが、キロ3分に相当します。そのスピードで走ってみると、トップランナーの領域を感じることができます。

吐き気しかしません。

でも、その領域はずっと手が届かなかった場所なので、たった400mでも実際に感じられたというのは大きなことです。この領域に2時間滞在できれば、トップランナーと一緒に走れるわけです。

もちろん、それは不可能なことは分かっていますが、目線は常に高く持つべきです。そうしないと、中途半端なところで満足してしまいますから。世界のトップを見つめて、自分はまだこんな低いところにいると思い続けること。

わたしのモチベーションはいつもそうやって保たれます。

サッカーが下手だったけど、それで食べていこうと思ったのは、目線を高くしたかったからというのもあります。最高レベルでプレイする選手を自分の目標に定めることで「もっと上手くなりたい」という気持ちが続きます。

「プロはこんなにも節制している」「プロはこんな厳しいトレーニングをしている」と、常に意識することで今の自分から甘さがなくなります。ただ、こういうのは団体スポーツには向いていません。

せめて自分が上手ければ良かったのですが、下手なのに意識だけ高いというのはなかなか滑稽な存在だったと思います。だから、今はとても気楽です。他の人がどうであっても関係ありませんから。

他の人がどんなモチベーションで走っていようが、それはその人が決めたことで、わたしのパフォーマンスには関係ありません。頑張ってないのに悔しがっている人を見ると「それはない」とは思いますが。

それはともかく、ようやくトップランナーの領域を体験できるところまできました。ここまで13年もかかっています。かなり遠回りをしました。マラソンを始めた頃に、ポイント練習の大切さを教えてほしかった。

そういう思いが、RUNNING STREET 365の運営に繋がっていますが、きっとわたしと同じように、自己流で成長できずに苦しんでいる人はたくさんいるんだろうなとは思います。

陸上部の人にしてみればあたり前の練習が、素人にはそのやり方も重要性も分からないという現状。その橋渡しができればいいなと思うのですが、いかんせん結果が出てないのに何かを言っても説得力がありません。

「効率のいい走り方」「背中の筋肉を使った走り方」なんて言っても、自分が変わらなければ意味がないんです。マラソンのタイムというのはその証明でもあります。だからこそ、タイムを狙うのではなく自然体で走る必要があるのですが。

トレーニングで積み重ねたものをレースで発揮する。正しいやり方をしていれば、必然的にタイムとして現れます。それが自分にとってのサブ3なのかどうかは分かりません。もっと手前にあるのかもしれませんし、もっと先にあるかもしれません。

ただ、いまはっきりしているのは、43歳でもまだ成長の過程にあるということです。遠回りしてきたけどまだ進化できるというのを日々実感しています。ただ、ポイント練習の日は朝から憂鬱になりますが。


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著者:アレックス・ハッチンソン
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