第5回東西対抗東海道53次ウルトラマラソンレポート

第5回東西対抗東海道53次ウルトラマラソンレポート

今年で5回目の開催となる東西対抗東海道53次ウルトラマラソン。細々と続いている感じですが、今年も西軍はウルトラマラソンの日本代表経験もある出口光さんがエントリーしてくれました(5年連続5回目)。

これまでは年末年始に行っていましたが、年末年始は忙しい人も多く、家庭の事情もあって参加できない人もいるはずということで、今年は秋大会へと移行してみました。

結果的に参加者が集まらなかったので、昨年と同様に今年も東軍代表としてわたしが走っています。

ルールも変更しています。これまでは東西からヨーイドンで、おそらく真ん中になるであろう天竜川を目指すというものでしたが、少人数でこれをするのは見る側もよくわからないため、今年は同じ場所から同時スタート。

最初は東京日本橋からと思っていましたが、出口くんの仕事の都合もあり、京都三条大橋をスタートにしました。

このような移動の問題もあるので、やはり将来的には従来の東西からのヨーイドンにしたいのですが、参加者が増えるまではこの形を継続しようかと思います。サポートに回るとしても、移動が減って楽になりますし。

実は開催日も出口くんの仕事の都合で変更しています。ただ、まともに開催していたら台風19号直撃の日だったので、それを回避できたのは運が良かったとしか言いようがありません。

スタートは10月19日土曜日の午前8時。ゴールは10月21日月曜日の正午12時。2.5日でどこまで進めるかを競います。ただし、最終的な走行距離ではなく、どれだけ先に宿場町にゴールできたかを競います。

ひとつの宿場町、例えば大津宿に先についた人は2ポイント、後についた人が1ポイントになり、累積ポイントが多いほうが勝ちになります。

出口くんと同じゲストハウスに止まっていたので、前夜は近くの居酒屋で軽く飲んでお互いの作戦確認。もっともわたしが出口くんの作戦を知ったところで、スピードに差があるので、それほど意味がありません。

お互いに荷物は最小限。雨が降っていたのもあり、わたしは折りたたみ傘を持っていましたが、出口くんはそれすら置いてきました。もっとも、わたしの折りたたみ傘は、ゲストハウスで誰かが間違って持っていったようですので、結果的にわたしも傘を持たずに走れましたが。

それをラッキーだと思えるほど、このレースでは余計な荷物を持たないことが重要になります。

ですので、それよりも焦ったのは、このタイミングでGARMINのバンドがちぎれたこと。心拍計がついていないモデルなので困ることはないのですが、縁起でもないと思っていたら、出口くんはウェアのチャックが壊れたとのこと。

こんな不安な始まりがあるでしょうか。

物が壊れたり、なくなったりしたときには、身代わりになってくれていると思っているのですが、2人同時にそういうことがあるとなると、このあと待ち受けている未来に対して不安しかありません。

スタートから1kmは信号が多いというのもあり並走となりましたが、山科に到達する前に見事に離されてしまいます。これが日本代表と凡人の差とは思いながらも、ウサギとカメを思い浮かべてマイペース。

わたしの作戦は、春に行った24時間裸足チャレンジと同じで50分走って10分休むというものです。そうすると10分休んでいる間に1km以上離されます。最初はどんどんと距離が離れていくのに焦りました。

ただ、初日の夜は出口くんが桑名手前に宿を予約していたので、どれだけ離されても、わたしが四日市宿まで走れば10km差にしかなりません。先は長いのだと自分に言い聞かせて、10分ごとに休憩をいれます。

最初にトラブルが起きたのが鈴鹿峠の手前。道の駅で休んでいると土砂降りの雨で、とても予定通りにスタートできません。走っているときでなくて良かったと思うべきか、想定外の足止めを恨むべきか。

多少小降りになったので、スタートしましたが再度の降雨。高速道路の高架下で休んでいると、近くにいた猿の集団に威嚇されるおまけつき。近くにいた鹿がそれに驚き、山に飛びかえるというカオスな状況。

2014年に初めて東海道を走ったときに「この上り坂はいつ終わるのだろう」と鈴鹿峠に恐怖を感じましたが、それから成長したのか、走りそのものはまったく苦はなく、むしろ下りで負荷がかかりすぎるのでかなり慎重に走りました。

初めての東海道ランでは、鈴鹿峠を越えた関宿が初日の宿で、22時30分に到着しました。しかもスタートは6時30分ですので、かつては16時間もかかった距離ですが、この日はスタートから10時間30分で通過。

やはり成長しています。ただ、この日の目的地は少なくとも四日市。できればその先にまで到着して出口くんにプレッシャーをかけること。

ただ、関宿に着いたところで、さすがにペースが一気に落ちたので、目標を四日市宿に定めてコツコツと積み重ねていきます。きちんと10分の休みを入れれば、ある程度まで走れるように戻るので、ペースを乱さずに走って23時20分に四日市宿に到着しました。

初日の走行距離は105km。先行する出口くんとの距離は10km以内ですので、まだ挽回の余地はあります。

最初に入ったネットカフェでフラットシートが満席で焦りましたが、もうひとつのネットカフェに空席があり事なきを得ます。ホテルという選択肢もありましたが、あれこれ充電が必要だったのでパソコンが有るネットカフェに。

ネットカフェは食事も安くてそこそこ美味しいので、街道ランではとても助かる存在です。ただ食欲がそれほどありません。この日は朝から食欲がなく、鈴鹿峠を超えるまで食べたのは菓子パン2個とみたらし団子1本だけ。

おそらく体脂肪をうまく使えていたのでしょうが、後半は体脂肪を燃やすための着火剤となる糖が不足したので無理やり甘いものを買いました。

そしてネットカフェについても食欲は戻らず。ただ、食べないと走れないのは明らかビールと一緒に無理やり流し込んで夕食終了。すぐに値落ちできるかと思いましたが、寝付きも悪く眠りも浅く、起床時間の4時45分を迎えました。

それでも眠気はほとんどないので、5時ちょうどに出発します。

当初の目標では、2日目の夜にあわよくば浜松宿までと考えていましたが、冷静に考えて豊橋・吉田宿がいいところ。ただ、この日は19時間あるので、とにかく先のことは考えずに、1歩1歩を積み重ねることに。

スタートしてすぐに左脇腹に差し込みがあり、さらには腹部が痛むためスピードに乗ることができません。走り出して痛むと歩くというのを繰り返しているうちに収まりましたが、走れるようになったときには出口くんは遙か先。

江戸時代、桑名宿から宮宿までは舟で渡るので「七里の渡し」と呼ばれていましたが、もちろん走ります。ただ、28kmほど見どころがなく足場の悪い歩道が続くので体力と精神力をどんどん削られていきます。

しかも前日は曇り空で涼しかったのに、この日は青空の見える秋晴れ。ものすごい勢いで汗をかきます。水分補給だけはしっかりしようと心掛けましたが、財布から小銭が湯水のごとく消えていきます。

宮宿に到着したのはちょうとお昼どき。ゆっくりと名古屋名物でもいただきたいところでしたが、この時間に宮宿にいるということは想定外。24時までに豊橋まで行きたいなら1分1秒も無駄にできません。

ちなみに24時を超えて宿に入れていない場合には、5ポイントのマイナスになります。

走りたくても、足が動かないので1時間で5kmしか進めません。19時間あるとはいえ、そのペースだと1日で100kmに到達しません。四日市から豊橋までは国道1号線計測でちょうど100km。

岡崎宿に到着したのが18時30分。問題はここから豊橋まで行こうと思うと、5時間30分で30km走る必要があります。1時間で6km走れればなんとかなりますが、岡崎から豊橋までは小さな峠を超えるので、どう考えても無理な話。

そこで豊橋の5km手前にあるネットカフェに目標を定め直します。それと同時に、出口くんは二川宿まで走って、そこからホテルを予約している浜松まで電車で移動するという連絡を受けました。

東西対抗東海道53次ウルトラマラソンは野宿のリスクを回避するため、宿泊施設のために電車やバスの利用を認めています。ただし、翌朝には同じ場所に戻ってくる必要があり、始発に乗っても5時スタートができなくなります。

ですのでこの判断が難しいところ。わたしも終電で豊橋に移動するというのも考えましたが、出口くんが電車を使うなら、翌朝に肉薄できるチャンスです。これは意地でもネットカフェに行くしかありません。

ここまでかなり酷使をしてきましたが、焦らずに50分で5〜6km走って10分休憩を繰り返して、23時20分にネットカフェに到着。これで、出口くんとの差は15km程度にまで縮まりました。

この日も食欲がなかったのですが、カレーは飲み物と誰かが言っていたのを信じてカレーライスと生ビール。この日のネットカフェにはシャワーがないので、汗ふきシートで全身拭いてそのまま就寝しました。

さていよいよ最終日。この日の12時がタイムリミットです。出口くんのGPSにスイッチが入っていないので、追いつくチャンスです。ただ、気持ちが焦っていたのでしょう。

GARMINをネットカフェに忘れてしまい、取りに帰るのに10分のロス。食欲はないので朝ごはんは抜き。この2つのミスが、そのあとのレース展開に大きな影響を与えることになりました。

東西対抗東海道53次ウルトラマラソンでは、宿場町ごとにポイントを獲得していくシステムになっていますので、ここから出口くんの前に出ても負けは決まっているのですが、それでも出口くんよりも長い距離を走って一矢を報いることはできます。

ところが、二川宿手前で空腹に襲われてマクドナルドでのんびり朝ごはん。トイレにも行ったので20分は滞在したでしょうか。そして、なんとかたどり着いた二川宿。なんと出口くんが3分前に通過していたとのこと。

忘れ物をしなければ、マクドナルドであんなにも休憩しなければ、二川宿のポイントはわたしが取れていたわけです。仕方がないこととはいえやはり悔やまれます。追いつきたくても、出口くんはかなりのハイペースで進んでいます。

こうなると、わたしにできるのは行けるところまで走るということだけ。この日はさらにペースが落ちていたので、新居宿の関所を越えられるかどうかも怪しい状態です。でも足が完全に死んでしまったわけではありません。

とにかく粘ろうと思って走っていたら、出口くんのペースが大きく落ちます。追いつくことはできなくても、新居宿を超えて舞阪宿までいければ到達宿場町数で並ぶことができそうな感じ。

ターゲットは決まりました。ただ、ここからは必死のパッチでいくしかありません。白須賀宿の坂を降りてから1回休憩を入れましたが、そこからは10.5kmをノンストップ。時計とにらめっこしながら走ったり歩いたりを繰り返します。

そしてレース終了の10分前、11時50分に230.5km地点にある舞阪宿に到着。

出口くんはさらに先を目指していましたので、そこにはいませんでしたが、なんとか記録には並びました。勝負には大敗でしたが、自分の走力を考えれば決して嘆く結果ではありません。

ただ、そのあとに出口くんと合流し、彼がまともに歩けないほどの状態になっているのを見て、自分の甘さに気付かされました。ここが日本代表になれる人と凡人の大きな差なのでしょう。

走力ではなく精神力の問題。わたしも自分なりにベストの走りをしたつもりですが、彼のようにオールアウトしたわけではありません。追いつけそうで追いつけなかった二川宿の3分は、わたしが思った以上に大きな隔たりがあるのかもしれません

そういう意味では走行距離以上に、力の差を感じることになりました。

来年は東京スタートでリベンジしたいところですが、むしろわたしがしないといけないのは、もっと参加者を増やすこと。来年の開催は10月10〜12日の三連休です。まずは来年の参加者を集めることが最初の課題です。

今回明確になったわたしの課題はもっと来年春の裸足24時間裸足チャレンジや、他のレースに向けてのトレーニングに活かすことにしましょう。いや、甘さを取り除くという点では、日々の仕事にも応用できるはずです。

この3日間で学んだことを無駄にしないこと。これが毎年参加してくれている出口くんに報いるために、わたしができる唯一のこと。

まずは、次の日曜日に開催される秋の万里の長城マラソンに向けて、しっかりと体調を整えていきます。この疲労感からすると、さすがにベストな走りはできないでしょうが、ベストなメンタルでいい走りをしてきます。

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