鹿児島マラソンが開催中止になったのに鹿児島に行きを決めた理由

全国でマラソン大会が中止になり、遠征する予定だった人は、現地に行くかどうかで迷っているのではないでしょうか。わたしも鹿児島マラソンが中止になり、少しだけ迷いましたが行くことにしました。

これが正しい選択かどうかはわかりませんが、わたしがなぜ鹿児島に行くことにしたのかを書いておこうと思います。もしかしたら、行くべきかどうかで迷っている人の判断材料になるかもしれませんので。

目次

迷ったのは受け入れてもらえるかどうか不安だったから

まず、わたしがなぜ行くのを迷ったのかを話しておきましょう。

鹿児島ではまだ新型コロナウイルスの被害が出ていません。九州で発症した人がいるので時間の問題かとは思いますが、不安な気持ちを持った人にしてみれば、関東から人が来るというだけでストレスに感じるはずです。

マラソン大会が中止になって、関東から人が来なくて済むと思っているのに、マラソンがないのに鹿児島までやってくる。おそらく、走らない人にしてみれば理解できないかと思います。普通に考えればホテルも飛行機もキャンセルするはずですから。

招かざる客という扱いなのであれば、当然行きません。こういうときに、自分の好きなようにすればいいとか、他の人の気持ちなんて関係ないとする人もいますが、わたしはそういうタイプではないので、どうしても空気を読んでしまいます。

中止が決まったときには、まだ風向きがわからなかったので、即決することができなかったので迷いました。でも自分なりに情報収集をした結果、少なくとも鹿児島のランナーはそこまでネガティブに考えてないと感じたので、行くことを決めました。

この新型コロナウイルスに対する危機感は関東とその他の地域で危機感が違うのかもしれません。関東は当事者で、その他の地方は対岸の火事なので、まだ不安が高まるということもないのかもしれません。もっとも関東の人だって、少し前までは呑気に構えてましたが。

いずれにしても、現時点では鹿児島に行くことを嫌がられるどころか、歓迎してくれる雰囲気の方が強いようなので、空気を読んで「行く」にしたわけです。

経済を回さないと状況は悪化する

今回のようなことがあったとき、自分のことだけを考えるなら、不要な出費を減らして、1円でも多くお金を残しておくのが賢明です。マラソン遠征もキャンセルして、不透明な未来に備えるべきです。

でも、みんながそうしたらどうなるか。簡単な話です。日本の経済が停滞して、リーマンショックや東日本大地震を超える被害が発生します。資本主義社会において、お金の流れは血液と同じで、きちんと流れるようにしないと末端から細胞が死んでいきます。

金は天下の回りものと言いますが、回らなくなったとき、天下は乱れます。だから、鹿児島に行って鹿児島でお金を使う。わたし1人だけでは何も変わりません。むしろ、わたしのように貧しい立場の人間ほど、お金を使わずに貯めておくのが正解です。でも、資本主義においてそれは最悪の選択です。

「自分さえよければいい」この考えをする人が多ければ多いほど、日本経済の回復が遅れます。反対にみんながお金を使えば、この最悪の事態でも、経済面での被害を最小限に抑えることができます。

日本がいま置かれている状況

少し前に、この先の未来のことを考えると憂鬱になるというニュアンスのことをブログに書きました。すると、ある人から「そんなに悲観的になる必要はない」とメッセージをもらいました。でも、わたしはすでに日本がかなりヤバい状況にあると感じています。

  • 新型コロナウイルスの着地点が見えない
  • 世界中からの観光客が減った
  • 中国での製品製造がストップ
  • みんなが疑心暗鬼になってる
  • 消費税増税による買い控え

数え役満ですね。この状況でまだ「問題ない」と言える人は、よほどの大物が馬鹿かのどちらかです。少なくとも関東では、どんよりとした重たい空気が漂っています。不安を煽りたいのではなく、事実として強い閉塞感があります。

むしろ危機感が低すぎます。新型コロナウイルスそのものに対する危機感ではなく、日本経済がこれから迎える未来に対しての危機感が決定的に不足しています。まだ「なんとかなる」と思ってるかもしれませんが、「もう手遅れ」なのが現実です。

ただ、被害を最小限に抑える方法はあります。それが経済を回すことです。もちろん、マラソンの遠征先でお金を使わずに近所で使うという考え方もあります。わたしが鹿児島で使いたいのは、鹿児島でお世話になった人がたくさんいるからです。

なのに宿をキャンセルし、行くのをやめたら、恩を仇で返すようなもの。わたしはどうしようもない人間ですが、義を忘れるほど愚かでもありません。わたし1人が行っても何も変わりませんが、忘恩不義とならずに済みます。自己満足でしかありませんが。

行くのもキャンセルするのも自由

結局のところ、中止になったマラソン大会の現地に足を運ぶかどうかは、自分次第です。行くだけの理由があれば行けばいいし、行かなくても後悔しないなら行く必要はありません。その地域にどれだけ思い入れがあるか、それを判断基準にすればいいと思います。

どちらが正しいかではなく、どちらがスッキリするかということ。わたしは鹿児島に行くほうがスッキリするので、鹿児島に行って、大切な人たちに会い、桜島を走ってくるだけです。

鹿児島マラソンのコースを走らないのは、鹿児島マラソンそのものにそれほど思い入れがないから(裸足で上手に走りたい気持ちはある)。毎年、前夜祭と打ち上げを楽しみにして「これでマラソンがなければ最高やのに」と口にしてしまうほどですので、ハイタッチのないあのマラソンコースを走ろうとは思いません。

きっと沢山の人がスタート地点に行くのでしょうが、そういうところは天邪鬼なので、足並みを揃えるのが苦手。でも桜島にもランナーが何人も行くのではないかと聞いています。もしかしたら良い出会いがあるかもしれません。鹿児島をもっと好きになるような出会い。

中止になったからこそ生まれる繋がり。それってある意味「運命」です。ちょっとだけそんな運命に期待しています。どんな面白いランナーと出会えるのか、今からワクワクが止まりません。

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