裸足の感覚とシューズだから到達できる領域 〜トレイルにて〜

昨日は昼過ぎに土砂降りになり、路面がウェットになったのを幸いに半年ぶりくらいに山に入ってきた。普段はそんなタイミングで山に入るなんてことは絶対にしないが、テストしているシューズがあり滑りやすいトレイルで試したかったので、喜び勇んで弘法山へ。

山と言っても鶴巻温泉から弘法山のルートは低山で、すぐにエスケープもできる里山トレイル。弘法山は235mしかなく、家から弘法山までの往復コースを走ると9km程度。多少のアップダウンもあり、多少テクニカルなコースだが体力に余裕を持って帰ってこれる。

大山まで行くと往復で20km以上になり、これはかなり厳しいコースになる。エスケープルートも限られているから、トレランの技術のないわたしでは気軽には走れない。上級者になると大山からさらに丹沢の奥に行くらしいが、それをしようと考えたこともない。

わたしにとって山は神聖な場所という意識がある。山には神様がいるという世界観を本気で信じているから、夜に山に入るようなことはしない。UTMFに出てみたいなと思ったこともあるが、ナイトランがある時点でわたしには無理だ。

山を走っているときは、いつも山の声を聞くようにしている。きっと本当は何も聞こえていないのかもしれないが、山がときどき話しかけてくれるような気がしている。それは人間同士の会話とは違って、自分の内側で言葉のやりとりが行われている。

山の神様は気まぐれで、いつも聞こえてくるわけではない。昨日はシューズのテストに集中していたのもあり、ほとんど何も聞こえてこなかった。ただ、見えないところで支えてくれているような感覚はある。ケガをしないように、そっとサポートしてくれる。

鶴巻温泉から弘法山のコースは基本的に裸足で走っている。危なくないのかと思うかもしれないが、何に危険を感じているのかがわからない。確かに指を岩にぶつければ痛いし骨にも影響するかもしれないが、普通に走っていてそんなことは起こるわけがない。

バランスを崩したら、流石に危険かもしれないが、裸足だからバランスも崩れないし、足元が滑ってもすぐに体勢を整えることができる。大ケガをするリスクはもちろんある。ただ、それはシューズを履いたランナーだって変わらない。シューズと裸足の違いは、足裏が痛いか痛くないかの違いしかない。

そしてシューズを履くと速く走れるが、走りが雑になる。テストしているシューズはベアフット系というかサンダルなので、ゴム底1枚みたいなものだが、それでも走りが雑になる。だから走りながら「その走りではダメ」と自分にダメ出しをすることになる。

それでも、やはり足裏にゴムがあるのは安心感がある。上り坂は裸足のほうが速いが、下りでおかしなものを踏んで悶絶するリスクがないだけで、快適さがまったく違う。裸足のトレイルも楽しいが、シューズを履くトレイルも好きだ。ガチガチに固めたトレランシューズは苦手だが。

いかにして自然に受け入れてもらえるか。わたしが山に入るときの課題もしていることのひとつだ。これはわたしの感覚でしかないが、裸足で走るよりもソールの薄いシューズで走るほうが自然に受け入れてもらっている感覚がある(生粋の裸足ランナーが聞いたら全力で否定されそうだが)。

もちろん人間としてナチュラルなのは裸足だが、残念ながらわたしたちは自然界で生き抜くための能力が衰えている。裸足で山を走るとき、どうしても走り方が丁寧になりすぎるし、路面を選んで走ってしまう。それがケガを防いでくれるが、走りとしてはナチュラルではない。

ところがシューズを履けば、どこに足を置くかなんて考える必要がなくなる。ただ前だけを見てまっすぐに走ればいい。それが上手くはまったときには自然と一体になり、無心になって疲労を感じることなく走り続けることができる。わたしの裸足力ではその領域には入れない。

裸足ランナーで裸足力が高い人たちは、どんな環境でも裸足のほうが優れており、そうならないのは修行が足りていないというような感覚をもっている。裸足でも鍛えさえすればシューズを履いているときのように、山を駆け抜けることができるという感覚。

否定はしないが、わたしはそれを望んでいない。裸足ランニングを極めるつもりもなく、裸足が最高だとも思わないから。わたしはシューズだから到達できる領域があると信じている。走力だけの話ではなく、自然との一体感というのも含めて。

人間はすでに自然界の動物ではない。進化の過程で失ってしまったものもあり、動物には戻れない。だから道具を使うのだ。足りないならシューズを履けばいい。裸足にこだわる必要なんてどこにもない。ただ、道具に頼らなくてもいいタイミングもある。大事なのは使い分け。

裸足だから得られる感覚があり、シューズだから到達できる領域がある。どちらも手にしたいわたしはそれらを使い分ける。裸足だけにこだわることなく、サンダルも履くし(ワラーチは履いたことがないが)、厚底シューズも履く。

人生とは経験すること。何かに固執して経験するチャンスを逃すなんてことはわたしにはできない。節操がないと言われようがあれもこれも体験したいのだ。何かを極めるなんて面倒くさいことは他の人に任せておく。きっとそれはわたしの役割ではない。

自分のルールを減らして、そのときにやりたいことをやる。こう書けばシンプルだろ?トレイルも裸足になりたければシューズを脱げばいいし、自然との一体感を得たければシューズを履けばいい。どちらかひとつを選ぶ必要なんてないのだから。

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