スポーツマンシップと勝利のどちらを優先すべきか【スポーツとは何なのか】

マラソンネタが続きますが、今日はオリンピック男子マラソンで、給水所のボトルをなぎ倒したフランスのモルア・アンドゥニ選手の話です。28km過ぎの給水所で、彼はテーブルに並んだペットボトルの水をなぎ倒し、最後の1本をキャッチしました。これが他のランナーの給水を妨害しているのではないかと話題になっています。

本人は濡れたペットボトルは滑りやすくて、たまたまそうなったのだと言うのですが、他のペットボトルを掴もうという素振りもなかったので、「わざと」だというのが世の中の論調。事実はモルア・アンドゥニ選手しか分からないので、何とも言えませんが、ここではあえて「わざと」だったとして話をします。

目次

他の選手の妨害をすることはルール違反になるか

そもそも陸上競技において、他のランナーの妨害をすることはルール違反になるのかどうか。これはとても難しい問題になります。マラソンにおいて進路妨害をしたところで、大した意味はありません。中距離のトラックでは体のぶつかり合いは普通にありますが、相手が転倒したからといって失格になることもありません(過剰な場合は別ですが)。

不可抗力で妨害することに関しては、マラソンはそれなりに寛容です。前を走るランナーのシューズの踵を踏んで、シューズが脱げたくらいで失格になることもありません。給水エリアで急に進路変更をすることを咎められることもありません。ただやはり意図的な妨害はNGです。他の選手のウェアを手で引っ張るなどは意図的な妨害で失格になります。

そういう意味では、もちろん意図的に給水ボトルを倒したのだとすると、モルア・アンドゥニ選手は失格となってしまいます。ただこの検証はとても難しいことです。なぜなら炎天下の28km過ぎです。もう意識も朦朧としているはずです。頭で給水しなくてはと分かっていても、その瞬間にぼーっとしてしまうのは考えられます。

自分でもなぜそれをしたのか分からない、そんな行動をとったとしてもおかしいことではありません。気がついたらそれをしていたとしましょう。ではそれをどう裁くべきなのか。この場合は意図的ではないわけです。でも現実は妨害をしています。ルール違反とするかどうかは本当に判断に迷うところです。

規則としても競技者はフェアプレイを求められている

直接的なルールではないのですが、陸上競技に出場するには「クリーンな競技者、フェアプレイ、競技の高潔性や信頼性の保護と推進に貢献」している必要があります。ここでいう「クリーンな競技者」はドーピングに対してクリーンであることを示します。これらが備わっていないと判断された場合には、参加資格を停止されることもあります。

モルア・アンドゥニ選手が意図的に妨害を犯したとすると、フェアプレイに反する選手ということで、今後のフランス代表としての権利を失うどころか、フランス陸連の資格停止などの措置も取られることになります。おそらく期限付きの停止ということになるのでしょうが、アスリートとしては致命的な損失を受けることになります。

だからこそフェアプレイは大事なのですが、残念ながら今のスポーツ界において「フェアプレイ」の教育がなされていません。これが今のスポーツにおける最大の問題であり、オリンピックが商業的になってしまった理由でもあります。本当は競い合うことの美しさを魅せるのがオリンピックなのに、勝つことばかりが優先されている現実。

海外では金メダルに多額の報奨金が付くこともあり、スポンサーからもお金が入ります。そうなると多少ズルいことをしてでも勝ちたくなる人だっています。日本人でそういう選手がいないのは、日本が裕福だからです。ズルいことをして勝ったときに失うものと、ズルをせずに負けたときに手に入らなかったものを天秤にかける。日本では圧倒的に後者のほうがいいわけです。

だから日本のスポーツ界とフェアプレイというのはとても相性がいいのですが、他の国もそうなるとは限りません。お隣の国では銅メダリストになれば兵役免除という特典があると聞いています。そうなると3位と4位では人生が大きく変わるわけです。不正したくなってもおかしくありません。

スポーツマンシップが足りない人はこの国では評価されない

日本ではスポーツマンシップやフェアプレイというのがとても重要で、「礼に始まり礼に終わる」という言葉がありますように、あらゆる競技で礼儀が重視されます。卓球の張本選手の人気がイマイチなのは、相手に対するリスペクトの気持ちが見えないためで、彼は自分1人で卓球をしています。

スポーツマンシップにおいては相手をリスペクトし、その強さに関係なく相手の全力を引き出せるようにし、自分自身も全力を引き出してもらい、お互いに高め合うことを求められます。メジャーリーガーの大谷翔平選手がまさにそれで、彼は相手のことを軽視するようなことがありません(少なくとも私が知っている範囲では)。

これはマラソンにおいても同じで、給水をミスした選手には自分のスペシャルドリンクを回しますし、向かい風があるときには風よけにされてしまう先頭を交代で走ったりします。自分さえ良ければいいという選手は、どの世界でもリスペクトされることもなく、自然と淘汰されていきます。それがこの国では特に顕著に現れます。

そしてフェアプレイを履行できないどころか、それと正反対のことをする人に対しては、徹底して潰しにくるのが今の日本のネット社会です。それがいいことなのかどうかはわかりませんが、スポーツというものが応援する人や観客がいてはじめて成立するものだと考えたとき、少なくとも日本のアスリートはスポーツマンシップを意識せざるを得ません。

ただそれを教える人がいないというのが、スポーツ界における最も大きな問題のひとつです。

順位やタイムは結果でしかなく過程を大切にする

スポーツマンシップやフェアプレイを意識するためにはどうすればいいか。これはとても難しいことなのですが、シンプルに考えれば「自分だけがライバル」「他人は高め合う仲間」この2つを普段から意識することです。自分が勝たなくてはいけないのは自分自身だけで、他の競技者はみんな仲間。

それは陸上競技でも球技でも同じで、形の上では敵味方になっていても、目的は自分を高めることにあるので、本質的には仲間なわけです。強いライバルがいるから自分も強くなろうと思える。高いモチベーションで競技に打ち込める。だから勝負は全力でぶつかりあっても、競技が終われば握手するわけです。

ではどうすれば「自分だけがライバル」「他人は高め合う仲間」と思えるか。それは順位やタイム、勝ち負けを気にしないで、そこにたどり着くまでの過程を大切にすることです。競技の結果は自分の現在地を示すだけのもので、それは通過点に過ぎません(トップアスリートも市民ランナーも)。

オリンピックのような大きな大会だと金メダルが目標になりそうですが、オリンピックであっても通過点だと考えられるかどうか。それが可能かどうかは私にはわかりません。オリンピックに出たことも出れそうになったこともありませんから。でも、そう思える人にこそオリンピックの出場資格が与えられるはず。

そう考えるとモルア・アンドゥニ選手が選ばれているということは、やっぱり「わざと」ではないのかなと。意識が朦朧としていて、自分の意志ではなく「やってしまった」というのが事実であってほしいところ。仮にも2018年のヨーロッパ陸上競技選手権大会10,000mのチャンピオンなのですから。

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