ランニングから努力や忍耐を切り離すことは可能だろうか

  • 2022.02.26
  • (更新日:2022.02.25)
  • RUNNING
ランニングから努力や忍耐を切り離すことは可能だろうか
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ランニングブームの火が完全に消える前に、新しいランニングスタイルを提案していこうと考えているのですが、いまのところ、そのためのサービス名で引っ掛かっています。「あすらん」というネーミングを考えたのですが、そういう名前の学校があるようで断念。

「あすらん」の意味は「明日から走ろうかな」。私のこれまでのスタンスとは180°違うように感じるかもしれませんが、私は自分以外の誰かに「もっと走るべき」と伝えるようなことは、これまでほとんどしたことがありません。アドバイスを求められたときの話の流れとして言ったことはありますが。

がんばって走ろうとするから大変で、やらなきゃいけないと思うから、走れなかったときに罪悪感になる。でも、その基準はすべて「マラソンで自己ベスト更新する」というたったひとつの物差しで決められていて、そもそもその物差しは正しいのか?という話です。

何のために走る?速くなることに何の意味がある?多くの人が目をそらしてきた部分を深掘りして、走ることの意味を提案できないだろうかなと。マラソン大会というのは確かにモチベーションになりますけど、それしかないのはやっぱりおかしい。

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だから、そこを深掘りして、人間としてもっと本能的な部分で「走る理由」を見つけたいなと。そのために大事なのは「走る=苦しい」という図式を崩すこと。「走る=耐える」もですね。「努力は報われる」とはまったく違う世界線でランニングを提案できないだろうかと。

私の考えとして、そもそも走るのが嫌いな人間などいないということ。私たちはみんな、幼い頃にあちこち走り回って親に心配をかけてきました。「ヨーイドン」が嫌いな幼児を私は見たことがありません。人間は本能的に走る生き物。

でも成長する過程で無理に走らされたり順位をつけられたりして、「走るのは好きじゃない」「走るのは得意じゃない」となり、走らなくなるわけです。別に学校教育にあれこれ言うつもりはなく、そこはもうそういうものだと割り切ってはいます。

ただ大人は大抵、そうやって走ることが嫌いになるわけです。だから走ることが苦痛だという感覚を、取り除くことからはじめなくてはいけません。そして速く走らなくてはいけないという思い込みを消すこと。じゃあどうすればいいのか。

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よくあるパターンが人参をぶら下げるサービスですが、これは人参がなくなったらおしまい。国レベルで何かを変えられるなら「1年に1回フルマラソン完走したら、保険料が50%OFF」とかできるんですけどね。でも個人でできる話ではありません。

旅ランの情報をアップしたり、走れるからこその遊びを提案したりすることを地道に続ける。さらに「がんばらなくてもいい」と言い続けるくらいしか思いつきません。できるだけ多くの人を巻き込めるといいのですが、私の周りにいるのはその対極のところでランニングを楽しんでいる人ばかり。

がんばって練習して結果を出して。そこにランニングの魅力を感じている人に、私のやろうとしていることを理解してもらうのは骨が折れますし、こちら側に無理に引きずり込むような話でもありません。ただ1人でやるには限度があります。

たとえば動画撮影なんて、1人でやるとたった30秒の動画のための素材を撮るのに1時間以上かかります。でもこれからの時代は動画は必須。ただ、私が手を伸ばそうとしている世界は完全なるブルーオーシャン。指をくわえているのは性格的には無理なので、まぁ少しずつ動くとしましょう。

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