仮装ランナーの端くれとして仮装して走ることについて考えてみた

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周りにいる本格的な仮装ランナーの足元にも及ばないが、わたしも河童をかぶって半被を着て裸足で走り続けて、大きな大会では「いつも見てます」なんて声をかけてもらえる仮装ランナーのひとりだ。そんなわたしが仮装することについて考えてみる。

先日友人に「仮装する人たちってナルシストだよね」と言われた。まぁ間違いない。みんな自分を見てもらいたいし、声援をもらうことで実力以上の力を発揮することもある。

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実はわたしは「自分を見てもらいたい」という部分は少ない。だから会場でもギリギリまで河童をかぶらないし、終わったらすぐに普段の自分に戻る。河童をかぶっているのはけっこう恥ずかしい。

プロレスラーの友人は「衣装に着替えると覚醒する」らしい。彼女の試合をまだ見たことはないのだが、わたしも河童をかぶってしまうとちょっと人が変わる。かぶるまでにけっこう勇気がいるのだ。

本当のヒーローというのは大事なところでしか変身はしない。スーパーマンも仮面ライダーもウルトラマラソンも(ウルトラマンは地球上に3分しかいられないという設定だが)。わたしがずっと河童の姿でいないのもそれと同じ。

仮装ランナーとして一番嬉しいのは声をかけてもらうこと。それは裸足ランナーとして一番嬉しいことと一致する。沿道の声援も一緒にあゴールを目指すランナーたちも気軽に声をかけてくれる。

そして何よりも覚えてもらえる。「また裸足の河童が走ってる」って耳に入るだけでも嬉しくなる。子どもたちが「河童がきた!」って言ってくれるだけで元気が湧いてくる。これが仮装ランの力だ。

魅せることも大事なのだが、支えてもらえるのと、いろんな人と一体感を持てるところが楽しすぎてもうやめられない。

「売名行為だ」と母に言われ、いまだに実家のある愛媛マラソンだけは河童の許可が降りないが、売名行為でも現実的に覚えてもらえるということはランナーとして大きなモチベーションになる。そしていまのところ売名行為は上手くいっている。

仮装で走り、しかも万里の長城マラソンを背中に背負って走るからにはカッコ悪い走りはできない。いい走りをするために背中を押し声援を送ってくれる人がいる。だから頑張れる。だから仮装はやめられない。

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