わたしにとって裸足ランニングとは体との対話である

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飯能ベアフットマラソンに集まる裸足ランナーには様々なレベルの人たちがいます。

「シューズよりも裸足の方が速い」と言い切る裸足のサブスリーランナーや、「今日はじめてマラソン大会に出ました」という初心者ランナー。

それぞれ自分の走力を見極めてアジア選手権の21.1km、10km、5kmにエントリーしているため、完走率はそれほど低くはありませんが、それでも10kmにエントリーした裸足慣れしていないランナーさんはかなり苦しそうでした。

裸足でガレ場のあるトレイルを走るコツは「速く走る」ことです。

禅問答のようですが「速く走るコツは速く走ること」です。痛さを怖がってゆっくり走ると、足の接地時間が長く足裏への負荷が高くなります。

ハーフマラソンを2時間以内でゴールしたランナーと3時間半以上かけて走ったランナー。痛さの総量が大きいのは3時間半以上かけて走り続けたランナーです。

痛みを恐れずに正しいフォームで走り続けることが、足裏の痛みと筋肉への負担が最も少なくなる唯一の方法です。

そのために重要なのは「上半身の柔らかさ」ではないかとわたしは感じています。

カメラを両手に持って走ったとき、何も持たずに自由に走ったとき、あきらかに足の裏の痛みも走りやすさも違うものでした。

カメラを持つことで肩甲骨がロックして足だけで走る形になっていました。ロードならごまかしつつ走ることができるのですが、アップダウンの激しいトレイルではそうはいきません。

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ただし、この肩甲骨をロックした状態が必ずしもNGなのかというと、そうとも限らないかなというような気付きもありました。

それは急な坂道を駆け上がるときにおきました。

そもそも上り坂は大好物なので、カメラを持っていても持っていなくてもガンガン上がるのですが、もちろんその走りは裸足といえども筋力を消耗します。

ところがカメラを持っていることで、体のバランスが悪くなり、ちょっと姿勢が崩れた瞬間、体がすっと前に進む感覚を掴みました。

坂道を走るのに体は前傾ではなく、気持ち後傾になり決して速く走ろうと力まないことで、上り坂なのに下り坂を走っているかのような感覚で走れることが数回ありました。

これはカメラを持っていない周回のときにはなかったものです。肩甲骨をロックすることで上半身が固まり、その結果としてマラソンの常識外の現象が起きる。人間の体の可能性を感じた瞬間でした。

もしこれを意識して行うことができれば、上り坂の走り方の常識が覆ります。

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長々と書きましたが、こういう発見こそが裸足ランニングの醍醐味かなとわたしは感じています。

裸足で走ることで、体の感覚が鋭くなっていきます。走りながらどんどん新しい気づきが入ってきます。それを整理して走りの非常識を常識に変えていく。

同じ裸足で走るにしても、そこから何を得るかはきっとランナーごとに違います。

5kmや10kmに参加した人のなかには「ただ痛いだけ」と来年以降に飯能ベアフットマラソンへ戻ってこない人もいるかもしれません。裸足で走ることの限界を感じた人もいたかもしれません。

どうしてもレースという形になってしまうと「速く走れない」自分にいらだちを感じてしまいますが、速く走れない自分を否定する必要はありません。

速く走れないことは今後の伸び代が大きいということであり、そして速く走らないからこそ感じることのできる気付きがあります。

もちろんトップランナーだから感じられる気付きもありますし、速く走るのはやはりこれまでの練習の積み重ねによるものですのでトップランナーへのリスペクトはあります。

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それでも速さだけが裸足ランニングではありません。

出走ランナー75名中68位だったわたしが言っても説得力がないどころか、ただの負け惜しみにしかならないのですが、速く走れることだけが裸足ランニングにおいて大切なわけではありません。

あえて言うならば、速くなるまでの過程が重要であり、そこに裸足ランニングの面白さが詰まっています。

わたしにとって裸足ランニングとは体との対話です。おしゃべりな体は今回も多くのことを語ってくれました。

わたしはいま、上り坂の感覚を再現したくてうずうずし、そして新たなる可能性にワクワクしています。このワクワクが続く限り、わたしは裸足で走り続けることでしょう。

ひとつの気づきを技術として体得し、そしてまた次の気づきに出会う。裸足ランニングから抜け出せなくなる気付きのループ。抜けだす必要なんてどこにもありませんが。

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