東北・みやぎ復興マラソン2017レポート〜冷静と情熱のあいだ〜

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土曜日の夕方、ランニングマガジン・クリールのシューズトライアルを終えて仙台についたときには、左足を引きずっている状態。金曜日の練習中に傷めた左足は、朝起きたときには痛みが引いていたにも関わらず、シューズトライアルで痛みが再発。

そして仙台の街をびっこを引いてホテルを目指します。

シューズトライアルで走った距離は17km。痛みが再発したのが12kmくらいなので、東北・みやぎ復興マラソンでもおそらく、そのあたりが限界。30kmも痛みに耐えながら走るのは意味のないこと。

でもスタートラインに並ばないという選択肢はありません。このマラソン大会は、東日本大震災からの復興がテーマになっている大会。復興なんてもうずっと前に終わっていると思っているかもしれませんが、現実は、ようやくインフラが整ったというところです。

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人の生活が始まるのはこれから。そういう意味ではここからが本当の復興が始まります。

その第一歩に立ち会いたい。完走できるかどうかは問題ではなく、そこに自分がいることがわたしにとっては重要なのです。ランナーとしてできることがある。それならば走れるところまで走るというのはわたしの使命。

ただし、撃沈するつもりはありません。

シューズトライアルを走りながら気づいたのは、筋肉を収縮させなければ痛みが発生しないということ。そう考えると靭帯が損傷している可能性があるが、ようするに筋肉を収縮させなければ、この足でも走れるはず。

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左足は置いてくるだけ。推進力は右足と背筋だけを使って作り出せれば、左足は棒でもそれなりに走れます。

細かいテクニックを書いても誰の役にも立たないので割愛しますが、左足が軸になるので体がどうしても旋回するのを腹筋と背筋でコントロールして走ります。

言葉にするのは簡単ですが、ものすごい集中力と繊細な反応が求められます。スタート地点で、「千葉真子さんと目が合った」と、はしゃいだ後は気持ちを切り替えて集中力を高めて走り出します。

スタートブロックの目の前には芸能人のLiLiCoさんと林家たい平さん。すぐ後ろには鳥居みゆきさん。おかしな位置に入ってしまいました。

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最初は一緒に行った仲間とLiLiCoさんを追いかける感じで1kmを7分切るくらいのペースで入ります。2kmも行かないくらいで、このペースでは無理だと判断し離脱。いま思えばこのときの判断で正解でした。

15kmくらいまではなんとかなる気がしたけど、気持ちとしては30kmまでは痛みも感じずに走りたいところです。

気温はやや高めで、脱水症状に出る人が多そうな気配です。わたしは、序盤からポカリスエットをエイドで補給。エイドのドリンクはすべて常温です。そういうところでもう夏マラソンではないのだなと感じます。

序盤はスピードを落としたものの、そのままのペースで走り続けると、ラン仲間とLiLiCoさんに追いつく。でもエイドに入っている間に追い抜かれて、なぜか抜きつ抜かれつの関係が続きます。

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ただ、わたしがやっているのは勝負ではありません。なんとかして無事ゴールすることしか頭にありません。

東北・みやぎ復興マラソンももちろん裸足で走っています。愛媛マラソンを除いて、よほど寒かったり暑かったりしない限り、わたしは裸足で走ります。

スタートからはしばらく新しくできた道路だったので、超快適な裸足ランでした。ところが途中からは荒れた路面がところどころ出てきます。さらに気温の上昇とともに路面温度も上がります。

気温があと2℃上がってたらまずかったかもしれません。この日の最高気温は24℃。日差しがあったので、これくらいの気温でも実は路面温度は容赦なく上がっていきます。

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路面温度が上昇すると、さすがに気持ちが焦りそうになりますが、それでもスピードは上げません。この日ばっかりは冷静な自分のままゴールに向かうしか完走への道は見えません。

ただし、スピードを出さないと決めているため、エイドのグルメを存分に楽しめます。まるごと1個のトマトや、歯につまるホタテの浜焼き、美味しいフルーツなどなど、本当に美味しいものが勢揃いしています。

しかも、コース上の震災前に集落だった場所には地元の人たちが戻ってきて、ボランティアでエイドをしてくれています。「頑張って」と「ありがとう」という言葉が胸に刺さります。

あの日から6年半が経過して、仙台のような大きな街はとっくに復旧しているように思えますが、あのときの出来事はいまだに仙台や東北の人たちの心のなかに消えない傷として残っています。

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仙台駅前にいくと、空き室の多いビルが目に入ります。

彼らの傷はきっと時間が解決してくれることはないでしょう。一生背負っていく消えない記憶。それでもマラソンだからとランナーに声援を送り続けてくれます。

そんな声に応えるには、自分史上最高の走りをするしかありませんが、残念ながらそんな余裕はわたしにはありません。30kmを過ぎるまでは精神的にも余裕は全くない状態です。

途中、海岸線を走るエリアがあるのですが、その地域はすべて防波堤が設置されて、海側を見ることができません。せっかくの景色が台なしと言いたいところですが、地元の人たちにしてみれば、命がかかっている防波堤。

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わたし個人としては、海が見えないというのは走りやすくはありました。コース途中で何度か海を見ることができるのですが、その度に複雑な心境になります。この海が多くの人の命を奪い取ったのだと思うと、正直直視できません。

そして、テレビで見たあの場所を、こうして走っているという現実。本当に心がどうにかしそうでおっかなびっくりでのランニングです。

裸足の河童で走っていると、どの大会に行っても女性ランナーに「いつもブログ読んでます」と声をかけてもらえるのですが、今回はなぜか声をかけてくれるのは男性が多く、女性もいましたがやや少なめです。

もしかしたら、自分の文章によって、東北・みやぎ復興マラソンに参加した人もいるのかなと思うと、ちょっと不思議な気持ちになります。圧倒的な存在感はありませんが、ちょっとしたインフルエンサー。

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そういう意味ではやはりリタイアしている場合ではありません。這ってでもゴールを目指さなくてはという気にさせられます。いつどこで誰かに見られているか分かりません。「あいつ裸足でリタイアしよった」とは思われたくないものです。

30km地点まで走ってきたところで、ようやく完走する姿が見えてきました。それでもまだあと12km。

しかも北端まで走って折り返したところで、強い風に足を取られそうになります。真正面から吹いてくるやや冷たい向かい風。残り10kmを気持ちよく駆け抜けようと思っていたのですが、これは完全に牛歩です。

それでも、応援をもらえると勇気が湧いてきます。もう少しスピードを落とそうかなと思ったときに「頑張ってください」と言われると、とりあえずもう1km頑張ってみようという気持ちになります。

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何度も何度も沿道の声援に応え、さらにはハイタッチをしていると、知らないうちに目に涙が浮かんできます。先週の網走マラソンでも涙がこぼれそうになりましたが、あのときは気持ちが昂りすぎての涙です。

今回は、あの日の映像が何度も脳内でフラッシュバックします。

その場所をいまたくさんのランナーとともに走っています。震災がなければ、マラソンを走っていなければ、きっと交わることのなかったランナーたちとの無言の励まし合い。

こういう大会には涙よりも笑顔が似合うはず。

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残り2kmからは感情に走りを乱されないように、「まだ行ける!」「頑張っていこう!」と周りのランナーに声をかけながら走りました。

そして残り1km。

足の状態を考えれば、よく走ったと自分で自分を褒めたいところ。でも、心に湧いてきたのは「まだまだ走っていたい」という想いでした。この心地よさを終わらせたくない。これが正直な気持ちです。

でもどんなマラソンでも必ずゴールしなければいけません。

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きちんとフィニッシュラインを超えることで、初めてマラソンという作品が完成します。名残惜しい気持ちと、なんとか負担をかけずに走りきれた安堵感。そんな感情が複雑に絡み合いながらも、5時間29分38秒(ネットタイム:5時間25分22秒)でわたしの東北・みやぎ復興マラソンが終わりました。

被災地で中途半端な走りしかできなかったことは心残りですが、多くの人に裸足でフルマラソンを走る姿を見てもらい、何かを感じてもらえたのであれば、わたしはそれで十分です。

記録よりも記憶に残る大会。それはわたしにとっての東北・みやぎ復興マラソンでした。

また数年後にはここに戻ってきて、また違った感情で、そして完治した足で、湧き上がった情熱をすべて注ぎ込んだ走りをしようと思います。


東日本大震災 復興が日本を変える-行政・企業・NPOの未来のかたち
著者:岡本全勝(復興庁事務次官)、藤沢烈、青柳光昌
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