第3回飛騨高山ウルトラマラソン〜初めてのウルトラマラソン〜

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第3回飛騨高山ウルトラマラソンに出場するため岐阜の高山に行ってきた。初めてのウルトラマラソンになる。ウルトラマラソンは正直なところ、わたしが思っていたものとはちょっと違っていた。ウルトラマラソンは10時間以上の時間をかけて移動するのだから旅に近いものだと思い込んでいたが、実際はフルマラソンの長いバージョンでしかなかった。常に制限時間を気にしながら走らなければいけない。ウルトラマラソンは旅とは正反対の性格を持つ「移動」なのだということを身をもって感じることとなる。

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完走できるかどうか多少の不安はあったが、走れないわけがないという根拠のない自信もあった。結果的には12時間54分04秒(制限時間14時間)というタイムだで、疲労感もほとんどなかった。歩くときも走れなくなって歩くというよりも力を溜めるために歩くのを選んでいた。

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何を言いたいかというと、ウルトラマラソンをあまりにもあっけなく完走できたということ。決して自慢をしたいわけではなく、あらゆることが想定内過ぎてまだ自分の中でウルトラマラソンの存在意義がわからなくなっている。気温もそれほど上がらず、走りやすい環境だったのもあるけれども、それにしてもあっけなさすぎて、ゴール時にこみ上げてくるものなんてほんの一欠片もなかったというのが正直なところだ。

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レースは第2ウェーブの5時にスタート。走り始めてから不安要素ばかり出てくる。まずは前日にお腹を下して軽く脱水状態だったこと。次に走り始めると、不安だった左膝よりも右膝のほうが深刻な状態だと気づいたこと。右膝は15キロ地点で、足が抜けるような感じになり転倒しそうになったところを何とか持ちこたえたが、もしかしてリタイアするかもと怯えながらの序盤になる。

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それでもさすがのVFF。体の調子が悪いところを走りながら修復していく。ほぼ下ろしたてだったので右足中指に違和感があったけど、2キロほど裸足で走って回復。やっぱり裸足はすばらしい。自然治癒力とでもいうのだろうか、ゆっくりと痛みを和らげながら距離を重ねていった。ただ、時間とともに足裏が腫れていく。

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50キロを過ぎたあたりから足裏の痛みが発生し始めて、そこからは冷やしたり耐えたりしながらなんとか持ちこたえる。他の人たちは足がパンパンだったり、胃腸の調子が悪かったりしてるみたいだが、そういうことはまったくなくただ足裏が痛い。これはまだきちんと裸足に適したフォームで走れていないからだろう。フルマラソンで程度の距離ならなんとかなるけど、それ以上走るとボロが出る。

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ただ、足裏は走れない痛みではない。後半戦はいろんな人と会話をしながら進むことが出来たので痛みも少しの間は忘れることが出来た気がする。驚いたことに多くの人が万里の長城マラソンを知っている。しかも毎年5月1日開催ということまで知っている。万里の長城マラソンのアピールの場はやっぱりウルトラマラソンとかトレイルマラソンとかそういうところが適しているのだろう。

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そのうちの1人と残り10キロを一緒に乗り切ることになったのだが、その人がいなかったら間違いなく13時間台でのゴールになっていただろう。一緒に走ることで自分の力以上のものが引き出される。それがウルトラマラソンの魅力の一つなのかもしれない。自分だけの力ではベストを尽くしきれない。100キロという距離は他のランナーと協調できるかどうかが重要なポイントになる気がしている。

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ただ、やっぱりあっけなさすぎた。わたしは晴れてウルトラランナーになれたわけだが、100キロを走ることに意味を見出せないでいる。なぜ1日掛かりで100キロも走るのか。ウルトラマラソン完走が本当に難しいことならわからなくもない。でも、わたしの感覚ではきちんと練習していれば100キロ程度はどうにでもなる。走れると思って出たら走れた。じゃあ、わたしはこの先どこを目指せばいいのだろう。100マイル?トレイルマラソン?

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それとももう少し100キロのウルトラマラソンに挑戦し続けようか。まぐれで完走できたのではないという証明が欲しくもある。ただ、レース自体が面白かったかと聞かれると、まったく面白くなかった。新しい発見がほとんどない。すべてがこれまでの延長線上でおさまっているのだ。こんな退屈なことはない。ウルトラマラソンを走ってマラソン迷子になってしまった。わたしはランナーとしていったいどこを目指すのかを見直す時期に来ているのかもしれない。

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