東京マラソン2015観戦記〜テロ対策の光と影〜

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雨が降るという予報ははずれ、最終のランナーがゴールするまで本降りになることはなかった。ただどんよりとした雲がスタートから続き、華やかなはずの東京マラソンをどこか重いものにしている気がした。その重さの原因はなにも東京を覆った雲だけではないのだろう。仮装ランナーの少ない東京マラソンはやはり物足りない。

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ラン仲間の三州ツバ吉さんはスタート会場に入るのにマスクを注意された。ただ、実際のところマスクで走っているランナーも皆無ではなかった。そういうランナーはとくに注意されることなく、数少ない仮装ランナーとして大会を盛り上げていた。マスクをしないという縛りで工夫して仮装するランナーもいる。

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テロ対策と言われると反論のしようがない。実際になにも起こらなかったが、本当になにも起こっていないのかどうかはわからない。水面下で目に見えない争いが行われていた可能性もある。結果的だけ言えばなにも起こらず、無事東京マラソンを終わらせることが出来たのだから、これはこの上なく素晴らしい結果だろう。

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誰も東京マラソンなんて狙っていなかったとすれば、今回の対策はただの道化でしかないが、対策したからなにも起きなかったのか、誰も狙っていなかったのかはわからない。だから、このどんよりとした空気について大会事務局を責めることは出来ない。あれもこれもは手に入らないのだ。

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それでも、仮装ランナーが大会を盛り上げていたということが明らかになった大会でもある。昨年は仮装の度が過ぎていたのは間違いない。どこかで歯止めをしなければ、マラソン大会なのか仮装大賞なのかわからなくなってしまう。仮装する側も年々レベルが上っていて、収集がつかない状態だったのも確かだ。

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どれぐらいの仮装が適切なのかはわたしにはわからない。目立った仮装が大会を盛り上げるのは間違いない。ただ、仮装ランナーが仮装しているからという理由だけで沿道がもりあがるわけではない。彼らの多くはサービス精神が旺盛で、ランナーと観客の一体感を意図的に生み出そうをしているのだ。

彼らが大会を面白くすることで、応援に来た人は「また来年も来よう」となる。彼らの存在を決して軽視していはいけない。

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ただ大会を盛り上げるのは決して仮装ランナーだけの役割ではない。仮装をしなくてもハイタッチを繰り返したり、沿道の声に応えることで盛り上げているランナーもいる。そういうお祭りとは無関係と言わんばかりに、黙々と自分のベストを尽くすランナーも心を打たれるものがある。

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東京マラソンはそこに集うすべての人たちで作り上げられているのだ。大都市マラソンが増えてきたとはいえ、東京マラソンはやはり特別なのだ。年に一度のマラソンの祭典と言ってもよいだろう。だから華やかであってほしい。曇天でも、キラキラした大会であってほしい。

そのために来年はほんの少しだけ、仮装NGの境界線を下げてもらいたいと思うのはわたしだけではないはずだ。

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