複雑な思いを抱いき横浜マラソンのスタートライン立つ

複雑な思いを抱いき横浜マラソンのスタートライン立つ

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明後日はいよいよ横浜マラソンだ。こういうのは前日に書くべきものなのだが、明日はきっと「悼む人」の感想を書くことになると思うので、前倒しだ。いよいよ、と言いながら実はさほど待ってもいなければ、期待もしていない。数週間前まで「走らないかも」なんて言ってたりもした。いまも隙あらば欠場…なんて考えている。

ことの発端は「ご遠慮ください」と案内に書かれているうちのひとつに「裸足での出走」とあったからだ。以前も書いたのだが、別に裸足で走れないことは気にはしていない。そういう大会はこれからも増えていくだろう。運営する側は少しでも安全に大会を開催したいのだから気持ちは理解できる。

わたしが納得していないのは、エントリーの段階でその告知がなかったことと、案内発送後にも一切の説明がないことだ。陸上競技全般のルールとして「シューズを履いてもよい」となっているわけで、裸足が基本であり、特に記載事項がなければ裸足はOKなのだとわたしは理解している。

いや、一般的に考えてそうじゃないだろうという意見もあると思うが、それを言うと「規則とはなにか」という議論になってしまう。いずれにしても裸足で走れないことはいい。なぜきちんと告知しないのかということが問題なのだ。ルールを勝手に変えて、告知もしない。これは人としてどうなのだろう。

わたしは今回の件で、横浜マラソン組織委員会事務局を信用できなくなってしまった。わたしにしてみれば騙されてしまったようなものなのだ。一度信用できなくなるとあとはもう何をしても悪い方にしか解釈できなくなる。だから、走らないという判断をしていたのだが、わたしなりの考えがあって今回は出走するつもりではいる。

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今回抽選で走れなかった人がいる。わたしは幸運にも当選している。それならば、自分の目で、自分の足で横浜マラソンを感じ、伝えていくこともわたしの役割なのだ。今回のように強引にルールを変えたことも含め、最後まで走りきったからこそ見えるものがある。それを伝えなくてはいけない。

横浜マラソンを走ったあとは、二度と横浜マラソンを走ることはないだろう。横浜マラソンを語ることもないだろう。どんな些細な協力もするつもりはない。器の小さい男ではあるが、わたしは自分の誇りを失うようなことは絶対にしたくない。信用出来ない人たちに手を貸すようなことはありえない。

横浜マラソン組織委員会事務局は自分たちなりの正義があったのだろう。それはそれでかまわない。ただ、自分の正義を貫くために違う正義を持つ他者を排除したり無視するようなやり方には同意できない。だからこれが最初で最後の横浜マラソンだ。複雑な思いを抱いたままスタートラインに立たなくてはならない。

それもひとつの経験だろう。そのうえで、わたしがするべきことは万里の長城マラソンで同じような思いでスタートラインに立つランナーが出ないようにすることだけだ。良いことも悪いことも学んで活かす。明後日は学ぶためにわたしは横浜の街を駆け抜ける。

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