横浜マラソンの「裸足をご遠慮する」ことについて考える

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参加案内の「以下の出走はご遠慮ください」の欄に「裸足での出走」と、ピンポイントで裸足ランナーを狙い撃ちする一文を今年も加えてきた横浜マラソン。1年前にいらっとさせられた記憶が甦ります。

とはいえ、この一文はわたしが横浜マラソンの大きな会合で「裸足で走るからよろしくね!」と言ったことがきっかけ。その言葉がなければきっと裸足NGは加わらなかったでしょう。

ルールは主催者のメッセージです

世の中のマラソン大会には「裸足禁止」だけでなく、「仮装禁止」であったり「下駄禁止」であったりと、様々なしてはいけないことがあります。「下駄禁止」も明らかにピンポイントで狙い撃ちの一文ですね。

こういうルールにより禁止されたランナーは主催者の嫌がらせだと感じることになります。「なんでこれくらいダメなんだ」と怒りをぶつける人もいれば、「自分ひとりぐらい大丈夫」と禁止を無視する人も。

でも主催者はなにも嫌がらせをしようと思って禁止ににしているわけではありません。主催者は参加者に楽しんでもらうためにどうするべきかを常に考えています。ただ全体としての成功のためには一部を切り捨てなくてはいけないこともあるわけです。

主催者にはある信念があり、それがなければマラソン大会は運営なんてとてもじゃないけどできません。いい大会にするには、目の前にある問題の1つひとつを先送りすることなく、決断していく必要があります。判断の基準は「信念」です。

「わたしはこういうマラソン大会を開きたい」ルールは主催者のメッセージなのです。

主催者はランナーとの距離を縮める

このルールによるトラブルが起きるのは「主催者の一方的な押し付け」が原因です。昨年の東京マラソンでもそうですが、申し込みをしたあとに「言ってなかったけど、これ禁止にしたから」と押し付けるから問題になるのです。

もちろん、あとから禁止にしなくてはいけないこともあります。ただそのときに「きちんと説明をする」ことを怠る主催者がいるから揉めるのです。大会の公式サイトで禁止にする理由を丁寧に説明すること。たったこれだけのことができない。

「◯◯禁止」で揉めるのは、禁止にされたことを怒っているのではなく、説明もなく一方的に押し付けるから怒りを買っているということに主催者は気づいていません。ここに問題の核があります。

会津藩の什の掟の最後に「ならぬことはならぬものです」とあります。一見すると「ダメなものはダメ」と上から目線で言っているように感じます。ただ「ならぬこと」をその理由も含めてきちんと説明しているため、藩士は押し付けだとは感じることなく、現代でも会津では什の掟が受け継がれています。

主催者とランナー間の距離をもっと短くするための努力が主催者に求められています。わたしが地方マラソンで自治体のトップもマラソン大会に出場すべきだと口にするのはそのためでもあります。

ランナーと主催者の間にある溝を埋める努力をしないから、大会の評価が低くなっていることに主催者は気づいてほしい。

ランナーは主催者の立場になって考える

横浜マラソンでは裸足は明確に禁止されているわけではなく「遠慮して欲しい」と書いてあるため「ダメなわけじゃないから、裸足で走る」と反発する人もいます。

でも片想いの人に「◯◯するの遠慮してくれると嬉しいな」とお願いされたらどうしますか?

お互いに距離が離れすぎているから「お願い」を「そんなん知らんわ」となります。主催者はこの距離を縮めなくてはいけませんが、ランナーも自分の都合ばかり要求していたのではいい大会にはできません。

落語やプロレスを観に行ったとき「今日は良かったなぁ」と感じるときは、会場が一体になるのを感じたときです。噺家さんが上手いから、選手がすごい技を決めたから満足するわけではなく、そこにしかない特別な空気を感じられたとき満足します。

そのためには客も場の空気をつくるために協力する必要があるのですが、これはマラソン大会でも同じこと。ランナーが一体感を求めようとしなければ「いい大会だったなぁ」と感じる大会にはなりません。

ルールには主催者の想いが込められています。だから「お願いしてもいいかな?」と言われて「いいよ、全然問題ない」と返せるかどうか。そのために主催者もランナーも歩み寄る。

これってそんなに難しいことだと思いますか?

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