厳しいトレーニングと向き合うのは速くなりたいのではなく強くなりたいからだ

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坂道トレーニングが日曜日で完了になる。おいらのフルマラソントレーニングメニューの中でもっともハードで、もっとも嫌いな練習だ。3種類のトレーニングを約100mの区間、10mを登りながら行う。最初のころは3セットやると食事ものどを通らないほどきつかったのが、4週間経過して4セットを終えてもまだ少し走れる余裕がある。足も笑ってしまうぐらいムキムキの筋肉質になっている。坂道トレーニングをやめれば少し細くなるので、いま足が太いぶんは気にしないけど、とてもマラソンランナーとは思えない筋肉で、これはこれでいい仕上がり。

おいらのトレーニングバイブルでもある「リディアートのランニング・バイブル」にもこう記述がある。「はじめのうちはかなり足に疲れを感じるはずである。しかし、2週間も続ければこれも楽にこなせるようになり、このトレーニングの成果の素晴らしさを体で感じはじめるだろう」。素晴らしさは感じないが、変化は間違いなく感じている。始める前と、いまとでは足がまったく違う。ただ、長距離に活かされるのはまだまだ時間がかかる。この次のトレーニングで鍛えた足とスピードを融合させる。そこで1キロ4分前後の走りが完成する。

ランニングはどういう練習をしようと自由だ。どういうフォームで走るかも自由。きつい練習なんてしなくても気持ちよく走れればそれでいいという考え方もある。そもそもスピードを追求するだけがマラソンではない。それでも、おいらのような凡人がフルマラソンに照準を絞ってサブ3を目指そうと思うなら厳しい練習が必要になってくる。厳しいだけじゃなくてきちんとした理論によるメニューも重要になってくる。そして焦らない気持ち。

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30代も後半になってくるといつだって全力というわけにはいかなくなる。いや、いつだって全力なんだけどいつだって自分の能力をフルに発揮できるわけじゃなくなる。若いころは毎日が絶好調で、毎日ボールを蹴っていても問題なかった。その代わり、経験もなく勢いだけしかなかった。あの若い頃に戻りたいとは思わない。こうやって工夫しながら自分の体の声を聞きながらピークを作っていく作業は嫌いじゃない。それはものづくりに似ている。いいものを作る過程といいカラダを作る過程は同じなのだ。

もちろん、この練習方法だけが正しいわけでもなく、もはやマラソン練習の古典にもなってしまった「リディアートのランニング・バイブル」はもはや古い練習方法なのかもしれない。そこに書かれていることを書かれているようにこなすだけでは、ある程度までしか速くなれない。きちんとトレーニングの意味を自分なりに考えて、練習と向き合うことが大切なのだ。そういう意味ではランニング雑誌に載っている「練習メニュー」にどれだけの意味があるのだろうと思う。そんなこと考えもせずに「練習メニュー」をなぞっていた頃は体の声なんてまったく聞いていなかったような気がする。

走ることは自分の体との対話だ。サボりたがる体と心をコントロールして今まで以上の自分を築き上げる。大事なのはタイムという結果ではなく、いかに自分自身をコントロールできたかといことだ。少なくともおいらが走る理由はそこにある。体はどうしてもいつかは衰えていく。おいらがサブ3を狙えるのもあと数年だろう。でも、おいらの理想とする「強いランナー」はサブ3を達成できたかどうかで評価できるものじゃない。

「強いランナー」になるために、厳しい練習を自分に課す。今日の自分が昨日の自分より劣っているわけがない。明日の自分が今日の自分よりも劣っているわけがない。そういう生き方がしたい。だからおいらは走り続ける。

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