花蓮に恋して

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花蓮と言えばタロコ峡谷ですが、数日前から続く地震が昨日の早朝にもあり、がけ崩れの危険があるということで今回はタロコ峡谷に行くのは断念しました。

というわけで、花蓮2日目はただひたすらに街を散策して過ごしました。朝ごはんは花蓮名物の紅茶とマカロン。そこから市場を眺めたり、かつてお酒の工場だった再開発地区でぷらぷらしたり。

どうも居心地がいいんです、この街は。

肩に力が入っていないけど、やる気がないわけでもなく、みんな真剣で一生懸命なんです。でも、そこにあざとさがないので、こちらが構える必要がありません。

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例えば、花蓮にはおしゃれなカフェがいっぱいあります。日本や台北にもおしゃれなカフェはたくさんありますが、その多くは「こうすれば人が集まる」という計算に基づいたおしゃれです。

ビジネスでやっているのですから、あざとくてもいいとは思いますが、そこに本当の居心地の良さはありません。オーナーが本当に好きで作った結果、みんながおしゃれだと思う仕上がりになった。

成功者の行動を真似たビジネスマンが嘘くさいのと同じです。

成功するにはまずは真似ることが大事だとよく言われますが、それは学びの段階だからいいのであって、成功しているお店を分析して、それを真似て同じようなお店を出す。

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それで儲けられるのはひとつの才能ですが、わたしはそれを良しとは思いませんし、少なくとも花蓮に来て感じたのは、本物は創造する人の心の奥底から湧いてくるものだということです。

そして、本当の喜びというのは、そういう本物に触れることでしか得られないということです。

それっぽいものでも、ある程度は自分を納得させることもできますが、それっぽいものは代用品でしかありません。

花蓮には本物がいくつもあります。なぜそうなのかは分かりませんが、真似ではないオリジナルが溢れています。同じ料理であっても、それぞれに「これはすごい」という領域に達しています。

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わたしは物書きという仕事をしていますが、この仕事をしていると、オリジナリティを出せる人はそれほど多くないということを感じることがあります。

わたしは、どの文章も自分の言葉で書くことを当たり前のことだと思っていますが、はっきり言えばかなり効率の悪いやり方です。依頼主のニーズを満たすだけなら、自分の言葉なんて使わないほうが簡単です。

ひどい人は、他のサイトの文章をまるまるコピーしていることもあります。

稼げればそれでいいという人を批判するつもりはありませんが、そのやり方で本当にいいのかということは問いたくなります。これは生き方の問題で、その生き方で本当にいいのかということです。

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自分が甘いことを言っているのは分かりますが、どれだけ稼いでも棺桶にまで持っていけるわけではありません。大事なのは「いい人生だった」と言って終わりを迎えられるかどうか。

きっと花蓮の人たちも近い考え方をしているのかなと感じるわけです。少なくともわたしが会った人たちは、みんな楽して儲けようというような感じはなく、一つひとつの仕事をとても丁寧に行っていました。

経済的に成功することよりももっと大事なことがある。あまりにも平凡すぎる表現ですが、花蓮にいるとその言葉が決してお題目ではなく、豊かさの本質として伝わってきます。

昨日のブログでも書きましたが、わたしは必ずここに帰ってきます。あまりにも居心地がいいから。

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きっと相性がいいのかもしれません。台北も好きですが、自分というパズルのピースがしっくりとはまるのは、どうやら台北ではなく花蓮だったようです。

まだ花蓮にいるわけですが、こんなにも再訪が楽しみになる街は初めてです。どうやらわたしは、花蓮が好きなようです。これはもう恋と呼んでもいいかもしれません。

今日の1枚

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花蓮文化創意産業園区にて お酒の工場だった跡地ということで側溝の蓋に銘柄デザインされていました。花蓮ではこだわったデザインにいくつも出会うことができます。


古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895-1945
著者:片倉 佳史
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