青島は想像以上に温かく優しい、そして美しい街だった

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万里の長城マラソンの後は頭をリセットする意味でも違う都市に移動することにしている。リセットと言っても結局は問題点の洗い出しだとか、来年に向けてのやるべきことをまとめるとか、ずっと考えている。それでも場所を変えることで発送も変わるし、気持ちもリフレッシュできる。今年訪れたのは青島だ。

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青島と言えば青島ビール。ビール党でなくても知っているその名前。詳しく知っている人は意外と少ない。青島ビールと青島の歴史は切っても切れない関係にある。日清戦争の後に青島はドイツに統治されることになる。街全体がドイツによって開発されたので、いまでも町並みが西洋風で美しい。

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そしてドイツ人にとってビールは欠かせないもの。街の開発とともにビール工場を作ったのは言うまでもない。その工場が青島ビールだ。そしてその後、第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本が青島を占領、1919年5月4日「五四運動」により中国へ返還、1938年の日中戦争時に青島は再び日本軍の占領下に置かれることになる。

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第二次世界大戦後、青島は蒋介石の国民党政府の支配下に入り、1949年に人民解放軍が青島に入城し今に至っている。歴史に翻弄された中国各地のなかでもかなり大きく揺れた場所のひとつということになる。

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この街のインフラのベースはドイツが作ったことになる。日本も台湾だったり満州だったりとかなり最新の街づくりをしていたが、やっぱりドイツの技術力は飛び抜けてすごい。日本もすごかったのかもしれないが、ドイツとは明らかな差がある。青島の街を見てしまうと、日本がアジア各地に作った近代的な街は、近代的っぽい街でしかないように思える。

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質実剛健。青島はまさにドイツらしい街づくりが行われている。そこに中国人が暮らしているのはアンバランスなようであってこれが意外と合っている。いや、青島の人たちだから合っているのかもしれない。この街で暮らす人たちはほかの地域の中国人とは何かが違っている。最近は北京でも親切な人が増えたが、青島はその比ではない。

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2012年の反日デモを覚えている人は青島が危険な場所というイメージがあるかもしれない。たしかにあの当時は青島は危険だった。いまもおそらくその火種は残っているのだろう。でも、観光という意味ではもはや反日は感じない。むしろ親日ではないかと思うほど彼らは親切にしてくれる。

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町並みは抜群に美しい。特に天主堂はこの世のものとは思えない美しさをわたしに見せてくれた。外見はそれなりに美しい建物という感じしかしないが、建物の内部の美しさは圧巻だ。わたしはあれほど美しい空間をこれまでに見たことがない。日本的な美しさではなく西洋的な美しさなのだろう。わたしの好みの美しさではないが、違った美もまた悪くない。

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青島ビールの工場も、その周辺のビール街もほんとうに楽しい。賑やかな街中とは別に旧市街地から新市街地にかけての海沿いの道は静かでそれでいてやはり美しい。ただ歩いているだけで気持ちが満たされる。青島は街歩きが好きな人には最適な街だろう。目に入ってくるすべてが新鮮で興味深い。

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逆に買い物好きや、観光地巡りが好きな人には物足りないだろう。見るべきものがないわけではないが、北京に比べると明らかに少ないし、香港や上海ほどは買い物天国ではない。ただ美味しいビールと海鮮と、そして美しい景色。そこに明るい青島の人たちが加わればそれだけで旅は十分楽しいものになる。

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青島は魅力的な街。温かく優しい街。中国はちょっと…という人にこそ見てもらいたい。

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