なぜかお遍路について語りたい気分なので、思い出しながら語ってみる

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もう何年も前のことなので記憶も曖昧になっているけど、思い出しながらちょっとお遍路のことを少しだけ書いておこう。

お遍路を始めたきっかけは父の死だ。父が倒れた数日前にわたしはめずらしく実家のある松山に帰っていた。実家といっても父は転勤族で引っ越しが多く、わたし自身は松山で暮らしたことはない。だから、父が仕事をやめて地元の松山に戻ってから実家が松山になるのだけれども、友人がいるわけでもないのでわたしはほとんど実家に行くことはなかった。そのときは虫の知らせってやつだろうか、いま帰っておかなければという衝動での行動だった。その帰省時に道でお遍路さんを道で見たのが始まり。それまではまったく気にもしなかったのに、そのときだけは妙に心に引っかかるものがあった。

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そして父が急死したあとに母から「お父さん、お遍路したかったみたいよ」と聞いた。父との会話は昔からほとんどない関係だったけど、別に嫌い合っていたわけでもないからいなくなるとやはり心にぽっかりと穴が開いてしまった。もしかしたらその穴を埋めてくれるんじゃないかと思って、わたしはお遍路することを決めた。

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とはいえ仕事もあるので通しで歩くことはできない。なので長期休暇ごとに区切って歩くことにした。基本はテントでの野宿で、すべてを歩いて回ることにした。車で回っても電車を使ってもヘリコプターでもご利益は同じだと言われているけど、そんなわけはない。いや、ご利益は同じかもしれないが、得るものは確実に違ってくる。

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春にスタートして、春夏冬と各季節を2回経験したから約2年かかったことになる。88番札所までたどり着いたことろで結願となるのだけれども、3度目の春にわたしは88番から高野山まで歩いている。徳島から和歌山まではさすがにフェリーを使ったけど、すべてで1500キロを超える距離を移動したことになる。1日30キロ、雨の日も猛暑の日も、雪の日もただひたすらに歩き、札所があればお参りする。それだけ続けると、信仰心のないわたしでも心のあり方が変わってくる。

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お遍路は弘法大師と同行二人と言うが、わたしの中では父とのふたり旅だった。歩きながらいつも見守られているような気持ちになっていた。何度か命の危機とも言えるようなことがあったが、今こうして五体満足でいるわけだから、やはり見守られていたのだと思う。目の前で車がスリップしてわたしのほうに車が向かってきたこともあった。そのときは本当に死んだと思ったけど、車はわたしを少し避けて壁に激突した。車はおそらくダメになっただろうけど、運転手さんも無傷。そういうことが何度も起こるのがお遍路。

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最大の試練は冬の高知。まさかの南国高知で吹雪にあった。雪国のそれとは比べ物にならないだろうけど、どちらが前なのかさえわからない豪雪で、風も強くてうまく前に進めない。あとすこしその時間がながければ自暴自棄になっていただろう。何もかも投げ出したくなった。「もう嫌だ」と何度口にしただろう。でも、前に進むしか道がないのだ。自暴自棄になっても何も状況は変わらない。なんとか自分を保って吹雪を抜けだした。

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その前後は氷点下でのテント泊。寝返りをうつと地面の冷たさで目が覚める。夏は夏でやはり厳しい。おそらく熱中症になっていたのだと思う。23番札所から24番札所のある室戸岬まで56キロの道のり。日陰はどこにもない。札所がいないと休むところがない。苦しさは感じないけど、ゆっくりと自分が壊れていくのがわかる。ただ、そういう経験が自我を消してくれるのかもしれない。いまならお遍路の前後で自分が変わったと言い切れる。

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ただ歩くだけ。スタンプラリーと揶揄されることもある。お遍路で変われる人もいれば変わらない人もいる。だから万人におすすめできるものではないし、おすすめはしない。それでも何かを失ったとき、自分と向き合いたいときお遍路することは決して無意味ではない。信仰心がないとしてでもだ。もし興味があれば少しだけ歩いてみるのもいい。何も四国だけが歩く場所ではない。伊豆修善寺、東国遍路、秩父札所巡りと探せばいくらでもある。大事なのはどこを歩くかではなく、どういう気持で歩くかであり、お遍路とは札所ではなくその道程のことなのだから。

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