万里の長城マラソン2017PV撮影の中国旅(その2)

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中国ではある分野のスペシャリストになろうと思うと、年少の頃からその分野にどっぷりと浸かり、徹底してそれに関する教育ばかり受けることになります。

卓球や陸上などなど中国がオリンピックで金メダルを獲得できるようなスポーツは、早い段階からその道を選び、そして優れた者だけが残っていくことが許される弱肉強食の世界。

今回の万里の長城マラソンのPV撮影でヒロイン役となった謝菲は、6歳の頃から新体操を初め、現在は北京体育大学を卒業して研究生として大学に在籍している、エリート中のエリート。

雑草中の雑草のわたしとは正反対の生き方をしてきた女性が、わたしを北京で待ち受けていました。

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神船国際酒店で謝菲と合流したものの、北京西駅までのタクシーの中、ほとんど会話はありません。

謝菲は英語がそれほど得意でもなく、わたしは中国語が絶望的にダメ。そしてお互い積極性がないというか、受け身型コミュニケーションタイプのようで相性がいまいち。

とはいえ、自力で烏魯木斉までの切符を入手する能力はないので、そこはすべて謝菲に任せるしかない弱い立場。もっともわたしが人生において強い立場に立ったことなど一度もないので気にはしない。

ところがどうもわたしの切符だけ入手できないという事態が発生したらしい。どうやら切符を予約してくれた万里の長城事務局本部の朱さんが、以前のパスポート番号で予約したらしく、窓口で「切符はない」と言われるばかり。

そう言われても簡単に引かないのが中国人のすごいところ。わたしだったら「そうですかすみません」と立ち去るだけなのですが、戻ってきた謝菲はなぜかわたしの切符を入手していました。たくましいエリート謝菲・・・

なんとか切符を入手出来たことだし、待合室に向かおうとしたところ、駅構内の入り口で駅員に止められる謝菲とわたし。どうやら「ここではない」と言われているっぽい。

そしてわたしは手元の切符に目をやり啞然とする。

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「北京→烏魯木斉」

切符には間違いなくそう書いてある。間違いなくだ。

そう、わたしたちが向かうべき駅は北京西駅ではなく北京駅だったようだ。連絡をくれた朱さんの大きな勘違い。

北京には北京駅、北京北駅、北京南駅、北京西駅と大きな駅が4つある。よくある勘違いではあるし、北京駅の切符だって別の駅で購入することができる。

出発時刻は15時15分。この時点ですでに出発までの残り時間は45分。北京西駅から北京駅までの距離は10km・・・渋滞の激しい北京の街では、とても間に合いそうにない絶望的状況に顔が引きつる謝菲。

すると、若い男がいきなり話しかけてきて「急いでるなら俺に任せろ」的なことを言ってくる。怪しいといえば怪しいのだが、ここは疑っている場合じゃない。タクシーの運転手かなんかだろうと高をくくって謝菲と2人でついていく。

そこに待っていたのは2台のバイク。

ヘルメットもなくバイクの後部座席にまたがり、信号も守っているのか守っていないのかわからないような危ない走りで、北京駅までかっ飛ばす兄ちゃん。

北京の街のど真ん中をバイクで疾走する日本人。

最初は怖かったのだが、こう見えてわたしもかつてバイク乗りだった男。次第に頬に触れる空気が気持ちよくなってくる。他の車との隙間すれすれを狙って追い越しをかける兄ちゃん。わたしはただ身を委ねるだけ。こういうときビビっておかしな動きをすると運転が難しくなることをわたしはよく知っている。

わたしは風を感じていればいい。

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兄ちゃんに請求されたのは600元(約9600円)。3000km先にある烏魯木斉までのわたしの乗車賃323元(約5170円)。正直どっちもおかしいが、深く考えないことにした。

とにかく電車の出発時刻には間に合ったのだから。

謝菲とはここで一旦お別れ。そしてわたしは戦場へと向かうことになる。北京発烏魯木斉行、15時15分、到着予定時刻は7時01分。

2日後の7時01分だ。大事なのことなので2回言う。2日後の7時01分だ。39時間46分、座席のないわたしの戦いがここから始まる。

とりあえず、所定の14号車に向かう。荷物を通路に降ろして行けるところまで立っているつもりだった。途中でいくつもの大きな街を通過することを考えると、降りる人もいるので座席はいつか空くというのがわたしの読み。

とはいえ現段階では足の踏み場もない満員電車状態。わたしが立っているデッキは喫煙所を兼ねている。正直この日ほど、タバコの匂いが嫌いでなくて良かったと思ったことはない。わたしはタバコは吸わないが、父が吸っていたい影響もあり、タバコの匂いはまったく苦にしない。

それでも足の踏み場もない状態なのに、タバコを吸いに人がどんどんやってくるカオス。

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列車が少し進んだところで、電車の乗務員に荷物を通路に置くなと指摘されたのだが、そんなことを言われてもどこに置けばいいんだよと無視しようと思ったら、ついて来いとの指示。

16号車まで移動し、他の人が座っている座席の下に荷物を入れさせられる。そしてわたしは木製の小さな椅子を与えられた。デッキでこれに座っていろという。烏魯木斉までの3000kmの距離を立っているなんて正気の沙汰ではないと思ったのだろう。

わたしもそう思う。

中国に行くと、もれなく親切にされる説はここでも証明されることになった。置き忘れたカメラをダッシュで届けてくれた人がいたり、バスで席を譲ってくれる人がいたり、カフェで端数(3元くらい)はいらないよと言われたり。わたしは中国に行くとなぜか、中国人に親切にしてもらえる。この日も小さな木の椅子だが、あるのとないのとでは大違いだ。

とりあえず、座席は確保できたので謝菲に連絡をして、食堂車で食事をしないかと誘うものの「もうカップラーメン食べた」と軽くあしらわれる。こういうところが日本人と中国人の違い。日本人は食べてても「じゃあ行くよ」となるのだけれども、中国人はそうはならない。別に悪気があるわけではなく文化の違い。

中国人は自分がしたいと思ったことをして、したくないことはしない。良く言えば自分に正直で、悪くいえば協調性がない。若い人ほどその傾向にあるような気がする。

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とりあえず、食堂車に行くも営業終了ということでお弁当を購入。

ご飯が美味しくないことを除けば、中国はどこにいっても大体美味しいものにありつける。ただご飯が驚くほど残念。そりゃあ日本に来た中国人がこぞって炊飯器を買って帰るはずだ。

空港の国際線出発ロビーでは、ほぼ定価の炊飯器が飛ぶように売れるそうだ。

こうしてわたしの40時間の戦いが始まったのだが、なんてことはない。24時間マラソンと同じことで淡々と時間が過ぎていくのを待っていればいい。Amazonでダウンロードしておいた動画を見たり、本を読んだりしているうちに、ジアkンは勝手に過ぎていく。

そして2日目の夜、ようやく座席に空席が目立つようになり、つかの間の横になって眠ることができた。実はこの時点で寒気を感じで、吐き気もあったのだが、ここで横になり呼吸を整えて軽く眠ったことで体力は一気に回復。

ウルトラランナーの回復力、我ながら恐るべしである。

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横になれた睡眠時間は1時間もなかったかもしれない。烏魯木斉が近づくに連れて、電車にはまた人が増え始め、座席のない流浪の民のわたしはまたデッキへと移動する。

そして3日目の午前6時30分、烏魯木斉南駅に到着する。ほとんどの乗客がここで降りたのだが、わたしが聞いているのは烏魯木斉駅。ただ嫌な予感はある。北京西駅と北京駅の間違えがあったばかり。

ここでの停車時間が20分。これが5分とか10分だったらアウトだったかもしれない。がらがらになった車両の座席に腰掛けていると朱さんからの着信あり。

「重松さんどこですか?私はもう謝菲と合流しました」

やっぱりか・・・

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わたしは電車を飛び降りて、烏魯木斉南駅の出口へと向かいました。初めての新疆の街に降り立った感動よりも大きかったのは、何ひとつうまくいかないのになんとかなってしまうことへの驚きと諦め。

ここは中国。

いずれにしても40時間の戦いの幕がようやく下りました。この時の気持ちをあえて言葉にするならこうなるだろう。

「やれやれだぜ」

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