物書きとしての次のステップを踏み出す覚悟

ここ最近はブログを書くときに、堅苦しくならないように心がけている。だがテーマが重たいものだとどうしても真面目な感じになるので、ひと通り書いたあとに手を加えようとするのだが、読み直してみるとどうも文章として破綻しているわけでもなく、むしろ文章に説得されている感覚がある。

これが自分のスキルなのかなということに、ライター歴5年目にしてようやく気づいた。わたしは基本的に自分の文章を推敲するのが嫌いだ。請けている仕事はもちろん推敲するが、ブログやRUNNING STREET 365の記事はまず推敲しない。ライターとして良いか悪いかでいえば悪い。

だが、推敲なんかしている暇があればひとつでも多く文章を書きたい。情報のアウトプットをしたいから、読み直して文章に手を加えるようなことはしてこなかった。だが、ブログの感じを少し変えてみようと思って、これは読んでて楽しくないと思ったときに読み直して修正しようとするのだが、手を加えるところがほとんどない。

自画自賛みたいになっているので恥ずかしいのだが、決して自分の文章を褒めているわけではないし、満足しているつもりもない。まだまだ未熟なのだが、自分で読み直してみると意外と読めるのだ。自分のリズムだから当然なのかもしれないが、これはかなり意外だった。

これなら小説を書いてみてもいいのではないかとも考えたが、それは少し思い上がりなような気がして止めている。だが、何も紙の本にして売り出そうというわけではないのでいいのだ。自分でAmazonで出版するだけのことなので、売れようが売れまいが大きな問題ではない。

自己分析としては、語彙力が足りてないし表現力も陳腐。0から1を作り出す能力も持っていない。だからわたしは情報を集めて、自分なりに噛み砕いて文章にするという仕事をしている。わたしは自分のことを翻訳人だと思っている(翻訳者とすると語弊があるので)。難解な内容をわかりやすくする翻訳人。

だから、ベストセラー小説を子ども向けに書き直すなんてことはきっと得意だが、残念ながらそのような需要はない(もしかしたら金の卵かもしれない)。難解な論文を一般人にわかりやすく噛み砕いて文章にすることもできる。そういえば大学院時代はそういう作業をずっとしていた。相手は数式だったが。

だが、もしかしたらこの先にクリエイティブな世界が広がっているのかもしれないと期待し始めている。0から1を作り出す努力をし、ほんの少しでもその才能があるのなら、今から磨いてみてもいいのではないかと。不得意だからこそやりがいはあるし、できないと思っているからこそ人生をかける価値がある。

そして、いつも言っているように、成功者になれないところにこそ美しさがあるのだ。失敗してもいい。いや、失敗してもいいと思って挑戦するのは違う。成功者になるつもりで挑戦するスタンスは絶対に必要だ。そのうえで日の目を見ない可能性のほうが高いが、だからどうしたというのだという話。

失敗して、のたうち回って、苦しんで。そんな自分のほうが自分のことを好きになれるような気がする。これ以上好きになると、ただのナルシストになってしまいどうだが、自分のことを好きになれないよりは何倍もいいだろう。

文章力というのはどうすれば身につくのだろう。

わたしは読んできた本の量で決まると思っているが、それは読みやすい文章を書けるかどうかという点にだけ影響する。もしかしたら語彙力にも多少なりとも影響するかもしれないが、わたしの語彙力のなさを考えるとそうでもないのだろう(読んできた文字数が足りないかもしれないが)。

読みやすい文章というのは、文章の中に矛盾がなく、なおかつ簡潔にまとめられている必要がある。想像力をかき立てられるというのは、読みやすい文章とはあまり関係ない。想像力はどちらかというと、伝わりにくい文章の中にあるものだと思っている。

あいみょんのマリーゴールドに次のような歌詞がある。

でんぐり返しの日々
可哀想なふりして
だらけてみたけど
希望の光は

目の前でずっと輝いている
幸せだ

わけがわからない。でも想像力がかき立てられる。わたしにはこの歌詞を書くことができないし、いくら多くの文章に触れてきても、この歌詞を書くことはできないような気がする。ただ、わたしはこれも文章力のひとつだと思っている。どうすれば手に入るのかはわからないが。

ずっと、こういう文章を書く人だけが小説家になれるのだと思っていたところもあるが、必ずしもそうではなく、書き続けている人はきっとそれぞれのリズムや文体によって人を惹きつけることができ、そして物語を読ませることもできるのかもしれないと考え始めている。

あたりまえだが、わたしはあいみょんにはなれない。だがあいみょんもわたしいはなれない(なろうとも思わないだろが、それはお互い様だ)。石の上にも三年というが五年経過して、自分にもそれなりの色がついているのだろう。失った色もあるのかもしれないが、動き出してもいいような気はする。

まずはクレイジーランナーでプロレスラーでもある三州ツバ吉さんから依頼を受けていた案件から着手しよう。そんな時間があるのかどうかは今は考えない。自分のできるベストを尽くす。鬼が出るか蛇が出るかはやってみなくてはわからないが、どちらが出てきても今なら上手く対応できるだろう。

はっきりしているのは、今がその時だということだけ。

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