裸足ランニングのコミュニティとは距離を置いていますが、裸足では走り続けています。普段のリカバリーランや近所の里山を走るときには基本裸足。そうなってくるとポイント練習だけシューズなわけで、裸足がメインみたいなものです。
朝ランは寝ぼけていることもあるので、念の為シューズを履いていますが。
正直なところ、わたしにとって裸足とシューズに大きな違いはありません。ランニングシューズそのものも用途やコンディションに合わせて履き替えているので、それと同じ感覚で裸足を選んでいます。
裸足ランニングが特別ということもないので、このブログでもあまり裸足について触れていませんが、それでも裸足をチョイスするのには理由があります。
ひとつはシューズで使う筋肉と微妙な違いがあるので、ポイント練習後にそれなりに走れるということ。ポイント練習で追い込んだ翌日にシューズで走ると、10kmを超えたあたりからふくらはぎが重くなります。
裸足だと同じ距離でも「まだまだ平気」という感じで終了します。体型維持のためにも毎日それなりに走りたいわたしにとって、これはとても重要なことです。わたしが日々走るのは、生活の中で運動が必要だからであり、「ポイント練習で疲れたから走らない」というわけにはいきません。
自宅仕事というのは思った以上に体を動かしません。そんな生活を毎日送っていると、体はあっという間に衰えてしまいます。体が弱ると病気にもなりやすくなるので、わたしにとって走るは仕事の一部なわけです。
毎日シューズで走って、ポイント練習もしてとなるとさすがに体が疲弊します。若いうちはまだなんとかなるのかもしれませんが、40代にもなると若い頃と同じように追い込みながら距離を踏むのはなかなか大変です。
そういうときに裸足で走れると、ハイブリッド状態になって体に負担をあまりかけずに毎日走れるというわけです。
もうひとつの理由は、やはり体の感覚を鋭くすることにあります。わたしは体のバランスをとても重視します。人間の体は左右で多少の違いがあるので、どうしてもバランスが崩れてしまいます。
そのバランスを維持するのに体幹を整えるわけですが、この感覚というのが思った以上に繊細で、ランニングシューズだと整えるためのポイントを時々見失ってしまいます。裸足だと骨も筋肉も感じやすく、思ったように体を動かせます。
おそらく、ほとんどのランナーにとっては興味のない話だと思います。わたしも自分の体を追求していきたいだけの、個人的な趣味だと思っています。だって、そんなこと知らなくても走れるわけですから。
そんなこと知らなくても、わたしよりも速いスピードで走れるひとはいくらでもいます。わたしはただ理屈をこねくり回しているだけ。ただ、それが楽しいからやっているだけです。
裸足で走ると楽しいというのもありますが、さすがに裸足ランニング歴も10年近くになってくると楽しさはかなり小さくなります。裸足で走ることが特別ではなく、日常になるからです。どんな美味しいご馳走だって、毎日食べれば「普通」になります。
普通になってくると、人に教えることができなくなります。息の吸い方を教えて欲しいと言われてもそれは無理な話なように、裸足の走り方を教えて欲しいと言われても、現在の自分の感覚を伝えることができません。
形だけを教えることはできても、そんなことに何の意味もありません。「裸足になって10年好きなように走ればいい」これが、今のわたしが唯一教えることができることですが、きっと誰も納得してくれないでしょう。
みんなはきっと手軽に裸足で走れる方法を知りたい。そして、そんなものはないのでわたしは口を閉ざすわけです。裸足は慣れないと痛いし、ひとつの動きを身につけるのには何ヶ月もかかります。
でも、そうやって身につけたものは一生モノです。学校で習ったことなんてほとんど忘れているかと思いますが、会社の仕事で必要があって自分で学んだことは忘れることなく使い続けられます。
もちろん教えるのが上手な人もいます。習うことで気づきもあります。実際に私はピラティスを習っているわけですので、習うことが無駄だとは思いません。でも、わたしから習うことはきっと無駄です。
もっと理論的に説明してくれる人のほうが絶対に身につきますし、気づきも多いはずです。人には向き不向きというものがあります。わたしは「裸足になってただ走ればいいだけ」としか言いませんので。
その人のクセに気づいて、改善を促すようなことは得意です。ただ、ほとんどのクセは完全を必要としていません。そういうクセがあると知っていればいいだけのこと。これを無理に治そうとするからケガをしたり、バランスを崩したりします。
裸足ランニングをするようになって、そういう知識が身についたというのも、裸足で走るメリットかも知れません。他の人がどうなのかは知りませんが。少なくともわたしは、裸足で走ることでたくさんの出会いがあり、多くのことを学びました。
そういう出会いがあったからこそ、わたしは裸足という狭い世界に囚われることなく、シューズも楽しめるランナーになれたのだと思います。そしてシューズを楽しめているのは裸足で走っているからでもあります。
すべてのことは連動しています。その連動を広げていくか断ち切るかは自分次第。世の中には生まれ育った街から、一歩も出ないという人もいます。そういう人に「外の世界は素晴らしいよ」と言ってもきっと声は届きません。
わたしはそんなことに時間も労力も使いたくないので、村を出て自由に走る道を選びました。村人にしてみれば「勝手なやつ」なのでしょうが、わたしはそもそも村の人間でもなかったんです。
ランニングという旅の途中で立ち寄っただけ。だから、いまの形が本来の姿だと思っています。自分なりの裸足道を歩み、自分なりに裸足を楽しむ。それを発信して、誰かが裸足ランニングに興味を持ってもらえればそれでいい。
その人たちが裸足ランニングの世界と向き合うときに、小さな村の中に囚われてしまわないようにするのもわたしの役割。裸足で走れるようになると、どこかで「自分は他の人とは違う」なんて勘違いをしてしまいますから。
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