気になる日本語:自分に似合う言葉と似合わない言葉

文章を書いて生活をしている立場の人間としては、言葉の乱れが気になることがあります。何者でもない人たちの言葉が乱れているのはどうでもいいと思えるのですが、たとえばテレビに出るような人やスポーツ選手などの著名人の言葉は気になります。

直したほうがいいと言うほどでもなく、その言葉を耳にした瞬間だけねっとりとした違和感に覆われる感じがあり、気持ちが悪い程度のこと。ただ、ここ最近立て続けに「マジ」という言葉を、テレビやラジオに出ている若い子が使っているのを聞いて、ちょっと簡単には拭えない感じがあったので言語化しておこうかと。

説明するまでもありませんが「マジ」というのは「本当に」という意味の言葉で、「マジおもしろい」というように使います。興味深いのは「マジ?」と疑問形にしても使えることで、これは「本当に?」となります。もちろん古語の「まじ」とは意味が違います(許すまじの「まじ」)。


「マジ」の語源はおそらく「真面目」にあります。意味としては「本当に」や「本気で」になるのですが、「真面目」が「本当に」と変化するのはどことなく無理があります。強引につなげるとするなら「真面目に」→「真剣に」→「冗談ではなく」→「本当に」といったところでしょうか。

この「マジ」という言葉は江戸時代から使われていたという話があります。もちろん「真面目」という意味でです。「マジ」が言葉の乱れなら、江戸時代から乱れていたという話になり、そして何百年も続いていればそれはもう乱れではなく本筋になります。

ではなぜ私は違和感を持ってしまうのか。古くから使われてきた言葉なら、もっとすんなりと受け入れることができるはずなのに、実際にはそうではない。もしかしたら「マジ」という言葉は、何百年もずっと日の目を見ない場所で使われてきたのかもしれません。


そもそもは楽屋言葉だったということなので、表の世界での言葉ではありません。きっと江戸時代の家庭でも、子どもが「マジで」なんて言葉を使ったら、こっぴどく叱っていたのでしょう。芸事をする人間は卑しい人という立場だったわけで、それを真似るなんてことは許されなかったはずです。

ただ、芸の世界ではずっとあたり前のように使われてきて、テレビの発展とともに芸人が表舞台で活躍するようになり、「マジ」という言葉を使うことが格好いいみたいな風潮が出てきたのでしょう。私の記憶の中ではとんねるずの石橋貴明さんがよく使い、全国に広めたような気がしています。

ただ、卑しい身分の人たちの言葉だから受け入れられないというほど、私も厳格な人間ではありません。古いもの、古い考え方が好きなタイプではありますが、流行りものはそれなりに取り入れていきますし、そもそも人の身分なんてものを気にするタイプでもありません。


その言葉を嫌う理由があるとするなら「美しくないから」でしょうか。これは感覚の部分の話で、人によっては「マジ」という言葉を美しいと感じるかもしれません。私の中では日本語として美しくないから、「もっと美しい言葉を使おうよ」となるわけです。

そのような言葉は意外とたくさんあって「クソ」という言葉も私は使いません。「マジ」にしても「クソ」にしても、似合う人というのもいるのですが、少なくとも私はそうではありません。このブログにそのような言葉づかいをすることはありませんし、勢いで書いたとしてもすぐに修正します。

そういうことを冷静に書いていると、自分はつまらない人間だなと思うことはあります。やはり芸人のようにみんなを笑顔にできる人は「マジ」も「クソ」も似合うし、口から発せられても違和感がありません。私が言うとそうならないということは、私はそちら側の人間ではないということ。別にそれで困ることはありませんが。

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