久しぶりに8時間労働をしてきました。もっとも自宅にいるときは16時間くらい働くのは珍しくないのですが、雇われての8時間というのはなかなか大変なものだなと。それも立ち仕事なので、8時間の立ち仕事はフルマラソン並みに大変。
慣れの問題なのでしょうが、普段立ち仕事している人は、きっと練習なしでフルマラソンを走れる気がします。それくらいの疲労感で、昨日は帰宅ランの途中でリタイアしてしまいました。寄り道してバーミヤンで華金をするつもりだったのに。
最初からトレーニングだと考えて、仕事プラス10km走るくらいでちょうどいいのかもしれません。立ち仕事なのでLSDをしているようなものですので。実際どれくらいの消耗をしているのかは分かりません。でも、ヘトヘトなのは確かです。
面白いもので、普段全く運動をしていないであろう人も、ちゃんと8時間働いています。それこそ慣れなのでしょうが、日常生活や仕事がトレーニングになるというのは素敵なことだと思います。私がUberEatsの配達を始めたのも、半分はトレーニング目的でしてし。
でも、UberEatsではなく日雇いバイトのほうがよかったのかもしれません。UberEatsは慣れるに従って1日の走行距離がどんどん短くなっていきましたし。そういえば、UberEatsも最初はヘロヘロになって帰路についていました。絶対に続けられないとなっていたのが懐かしい。
でも、効率よく働けるのと体の慣れによって、世の中にある大抵の仕事はそこまで疲労度を感じずに行えるようになります。8時間の立ち仕事も足裏が慣れてくれば、「その程度」という感覚になるのでしょう。それに慣れる必要があるかどうかは別として。
ただ、慣れたということは鍛えられたということでもあります。筋力も耐力もついたから痛みとか疲労とかがなくなる。それって本当に素晴らしいことだと思います。むしろ、ランニングをする本来の目的は、健康であり続けるためです。
それなのにいつの間にか「楽したい」なんて思うようになる。体を鍛えたいはずなのに、階段から逃げてエスカレーターを使ってしまう。仕事だってデスクワーク中心で、消費カロリーが限界まで少なくなって、体重がどんどん増えていくわけです。
でも、仕事を選べば、働いているだけでエネルギーを消費して、強い体が手に入ります。そして、そういう仕事はエスカレーターと同じように敬遠されがち。本質的に優れているものは、なぜか避けられやすいというのはとても興味深いところです。
40代以降のランナーは、かつての走りを取り戻すのに筋トレをすべきなのに、みんなそれを避けてしまう。なぜなのかは私にはわかりません。別に走れなくなったことを受け入れるならいいのですが、ほとんどの人が筋トレをせずに「走れなくなった」と嘆くだけ。
もっとも、会社をやめて、マラソンのために立ち仕事に転職するなんて現実的ではありません。そんなことすべきではありません。でも、トレーニング不足は仕事によって補うことができることも、頭の片隅に置いておいてください。「あの人は練習していないのに速い」と思っても、実は生活そのものがトレーニングということもあります。
それに対して、練習していても消費カロリーよりも摂取カロリーが多くて、筋トレのような地道な努力は嫌い。それでは走れなくなって当然です。もしかしたら、速くなれるかどうかはトレーニングよりも、日常生活や働き方のほうが影響するのかもしれません。あくまでも私の感覚ですが。