選民思想:仕事に上下はない

私がアルバイトをしていることを聞くと、「なんでそんな仕事を?」みたいなニュアンスで聞いてくる人がいます。答えるのが面倒なので、そうならないようにいろいろ先手を打っておくのですが、それでも人によっては「もっといい仕事に就けばいいのに」みたいな空気を醸し出します。

私は仕事に上下はないと考えており、例えばプロ野球選手や弁護士のような専門的であり、なおかつ高給な仕事をしている人を崇めるようなことはしませんし、その人の職業によってお近づきになるとかならないとかもありません。仕事が人を創るなら間接的には影響しているかもしれませんが。

なので、ライティングの仕事もランニングの仕事もアルバイトも等しく楽しく、大切な仕事だと考えています。もちろん、自分に合わない仕事というものはあります。合わない職場(様々な条件なども含めて)というものもあります。でも、それを継続することはありません。


自分の中で仕事に行くのが楽しみなアルバイトしかしていませんし、どの職場も学べることばかり。何度も行っていると、様々な仕事を任せてくれるようになり、さらに自分にできることの幅が広がります。それらの経験は間違いなく、将来の糧になるというのもあります。

ただ、根本的な考えとして「これは自分のやることではない」という仕事はありません。でも「なんでそんな仕事を?」と聞いてくる人は、きっと私と同じ考え方ではないのでしょう。仕事はそれぞれに価値や重みに違いがあり、自分がやるべきこと、そうでないことを無意識の選民思想により分けている。

もし、人生が永遠に続くものなら地位の高さや収入の高さというのは、仕事を選ぶうえで重要な要素になるかもしれません。でも、この世界に永遠の命を与えられた人はいません。いずれ終わってしまうのに、あの世に持っていけないのに、地位や金銭的な豊かさを追い求めるなんて私にはできません。


別に他の人が選民思想を持っていたとしても、それは自由だと思います。プライドやマウントを取ることで、自己肯定感を高め、それで幸せになれるという人もいるはずです。でも、それはひどく脆い幻想だということを知っておく必要があります。

無意識であっても選民思想を持っていると、いざ仕事を失ったときに困ることになります。自分は特別だと思っているから、日雇い派遣みたいな働き方ができません。試しにやってみたところで「これは自分のやることではない」となってしまいます。

プライドが邪魔をするわけです。でも、仕事はしなくてはいけない。その結果、ブラック企業に就職して後悔する。もちろん、続けることができずにすぐに辞めてしまうか、心が壊れてしまうか。「自分に合った仕事」なんか追い求めるからそういうことになります。


職業に偉いも偉くないもありません。どんな職業に就こうと、自分の価値が職業で決まることはありません。職業で人を判断する人もいるのは事実です。でも、そういう人たちと繋がったところでメリットはひとつもありません。必要のない選民思想が強くなるだけ。

そんな人たちとつるむくらいなら、本質的な人間力を高めるために、自分を成長させることに集中すべきです。ほんの少しも偉くないのに、チヤホヤしてくる人たちはできるだけ遠ざけましょう。勘違いしたまま歳だけを重ねてしまう前に。まず自分が凡人であることを受け入れるこたから。

勘違いしながら生きるのも面白いかもしれませんけどね。自惚れられる人にしか見えない景色があるのも事実ですから。ただ、私はそういうタイプではないので、目の前にある仕事と向き合うだけ。もっともどんな仕事も楽しんでいるので、努力も頑張りもないのですが。

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